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悩ましい再会
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2008/07/19(Sat)
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大分県の教員汚職 教員採用試験を巡る汚職事件のニュースが連日マスメディアをにぎわしています。
今更、なに? と思っている私がいます。 私は大学時代、教育学を学んでいました。 本当はほかに勉強したいことがあって、進学先の大学を選ぶとき両親に自分の気持ちを訴えたことがありました。 母は「しっかり生きていく力を身につけるためには公務員を目指すのが一番」と信じて疑わなかった人なので私の希望は到底理解されることなく、私は、母の希望に沿う学部への進学を結局は選びました。 父が公務員だったこともあって、母にとってはそれが当たり前、だったのだと思います。 そして、私はといえば、親の意向に逆らって、「自分で何とかする」と独力で大学に進学できるほどの力も気概もなく、(ちがう、これはちがう)という思いのまま4年間を過ごし、 4年生の夏、とうとう教員採用試験を受験する時期がきました。 私が乗り気じゃないことを察した母は知り合いの議員さんに「よろしくお願いします」となにやら表立ってはいえないことをお願いしたようでした。 そのこと、もちろん母は私には内緒にしていたつもりのようでしたが、何とはなしに私の耳に入ってきました。 どうしても母の敷いたレールに乗りたくない、 そう思った私はどうしたか。 試験当日、私は全ての答案を白紙で提出しました。 後日、「よろしく」と母に依頼されていた議員さんから 「あれではどうしようもない」と連絡があったようでした。 一人っ子で、今考えると小さい頃から母の望む「いい子」を続けてきた私の初めての反抗、私からすると意思表示でした。 もちろん、大学時代の4年間は楽しいことも数え切れないほどありました。 生涯の友人とめぐり合えたのもこの時期です。 入学式の当日、式が終わってオリエンテーションのために用意された教室に入ると私の後ろの席に座った女の子がいました。 抜けるように色が白くて、華奢で、美人で、私よりも年上に見えたその人は以前ここでもご紹介したことがある、京都(日本)で一番有名なお箸やさんのお嬢さんのIちゃんでした。 初めて会った瞬間、私は何も考えず、この人と友達になりたい、と直感的に思ってしまい、後先考えず話しかけていました。 「こんにちは、私は紫、あなたは?」 このときの一言から今まで彼女と私の付き合いは続いています。 さて、先日、そのIちゃんから連絡があり、大学時代の仲良しグループで久しぶりにご飯を食べよう、という誘いがありました。 Iちゃん、私、そして後3人。 18歳から22歳まで、私たち5人はほとんど毎日を一緒に過ごしました。 Iちゃんと私以外の3人は卒業するとそれぞれ故郷に帰っていって、その後全員揃って会うことは難しくなり、会えないでいる間に、結婚したり、教師として仕事に専念していたり、子育てに悩んだり、子供の出来ない人生に新しい生き方を見出したり、とそれぞれの道を歩んできています。 やっとなんとか自分の時間を持つことが出来るようになって5人揃って会える環境が整う時期がきたんですね。 けれど、「ご飯しよう」という連絡が来たとき、私は複雑な思いでした。 なぜなら、体調を崩したせいか(いいわけです)、昨年からの1年でめきめきと横に大きくなっているからです。 どうしよう・・・・・・ ダイエットするにしても時間がなさ過ぎる。 お気に入りの夏の洋服、どれも今の立派な私の身体には小さすぎます。 久しぶりに会う女同士の友達って、ちょっと複雑。 いくら仲良しでも、いいえ、仲良しだからこそ、会った瞬間に相手の全てをさっと見取って、 (あ、幸せそう)とか(私も方がちょっときれいかも)とか、そんなことを全身から見極めている、そんな気がします。 それは、意地悪でも嫌味でもなく、いわば女のもつ本能のようなものか、 髪型や洋服やアクセサリーや、指の爪の様子などを瞬時に見る、そしてコンピューターより早く状況を判断する。 勝った。 負けた・・・ だからといってどう、ということはないんです、けれど、仲良しの女友達との再会はそんな緊張感を伴います。 「どうしよう、洋服がどれも着られなくなっちゃった・・・」 一人悩んでいると 「新しいの買えばいいやん」と微妙な女心を解さない連れ合いが新聞など読みながらのんびりといいます。 「身体に服、合わせて買ってたらどんどん太るばっかりやん!」と言いがかりとしか思えない言葉を投げかけられて割に合わない連れ合い。 実は連れ合いとの出会いも大学1年の時で、連れ合いの友人と私たちの仲良しグループの一人が郷里の高校で同窓だったことから合コンを開くことになり、その待ち合わせの四条河原町の阪急の前で彼を見つけた18歳の私は生涯の伴侶、と直感的に決めてしまったことが今日に繋がっています。 そんなわけで、私の仲良しを彼も良く知っているのです。 Iちゃんといい、連れ合いといい、私には直感で自分の好きな人を見極めるところがあるようです。 視力がいい、嗅覚がいい、聴力がいい、 私を深く知る人はみな、「犬のようだ」といいます。 いろんなことを本能的に嗅ぎ分けて生きてきたからでしょうか。確かに、耳もピクピクと動きます。 それにしても、目前に迫った久しぶりの友人との再会。 学生時代をすごした懐かしい場所でちょっと贅沢なランチは魅力的だけど・・・・・・。 |
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毎日が日曜日
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2008/05/16(Fri)
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学生時代から映画が大好きで、連れ合いとのデートでも何度も映画館に足を運びました。
あの頃は今みたいなシネコンはまだ日本にはなく、指定席もなかった時代。 人気のある作品や単館系やアート系の作品を上映している劇場では2時間あまりを立ったまま観ることもよくあることでした。 なにかの時には趣味は映画鑑賞、と書いていた私。 いつの間にか、見る側ではなく参加したい、と強く願うようなって、 人間、心に念じていれば希望はかなうものなんですね、柄にもなく『強気のはったり』で面接をクリアして気がつけば業界の端っこにいました。 右も左もわからない真っ白な状態から、段々に業界用語を覚え、しきたりを身につけ、映画の配給と上映してくれる映画館との関わりを覚えていきました。 映画の入場料金のほとんどは歩合で配給会社が手にしていること。 映画館の収益を左右するのはその大部分がフード・ドリンク・グッズの売り上げであること。 映画本編の前にスクリーンに映し出されるCMや予告編を「先付トレーラー」ということ。 その先付トレーラーには上映される本編との絡みでいろんな制約があること。 配給と映画館との力関係でいくら望んでも上映することを許可できない、また上映してもらえない作品があること。 お客様の入り(入場者数)を「あたま」、興行収入(映画の料金売り上げ)を「あし」ということ。 劇場のことは「小屋」、その経営者のことは「小屋主さん」と呼ぶこと。 上映時間は「尺(しゃく)」ということ。 いまの映写機のシステムでは上映途中トラブルがあっても元に戻ってトラブル前の場面に戻って流すことはできないこと。 他の業種では考えられないことだけど、映画業界ではお互いの配給作品の成績(あたまとあし)をライバル配給同士で毎日やり取りしていること。 昔は映画会社の依頼で監督や脚本家が書いた本をもとに映画にしていたことが多かったけれど今では製作のほとんどにテレビ会社などが出資していて映画会社の意思のままには作品が作りにくくなっていること。 イギリス映画が全編を通して空がいつでも重い感じがするのは天候の変わりやすい国なので最初からトーンを落として撮影してること。 シネマコンプレックスが日本に上陸し、配給会社が次々とシネコン経営に乗り出して、一時期低迷していた日本の映画人口はこの十数年で一気に増加し、今は飽和状態でぼつぼつ淘汰が始まっています。 若い頃に行ってた映画館もいくつかは姿を消してしまいました。 映画産業が再び盛り上がり、興行の世界のおもしろさ、その博打性の怖さを見続けてきた時間は生き生きと楽しく、熱気あふれる仲間に囲まれて、気がつけば社の中枢に入り込んでいました。 外資の会社なので勤務はフレックス、自分の仕事さえこなせれば勤務の体制は自己管理でいい、逆に言えばそれだけ自己責任で動かなければいけない会社でした。 そう、「でした」です。 昨年の初夏の頃からなんとなく体調が思わしくなく、それまでのような勤務がつらくなってきていました。 京都から地下鉄とJRを乗り継いでの大阪までの時間と距離がつらくなり、はつらつと仕事をこなしていくことがつらくなり始めていました。 周りの同僚に迷惑をかけたくない、中途半端なことをしてお給料をもらうことは自分が納得できない。 家に帰っての家事がおろそかになり連れ合いに甘えることが増えていきました。 二人だけの家族、家事といってもたいしたことではないのですが通勤帰りの電車の中から「調子悪い」と連れ合いにメールして帰るなりベッドにもぐりこむことも一度や二度ではなくなって、このままでは家も仕事もだめになる、と退職を決意したのは去年の秋でした。 自分なりに退職の時期を来春と決めてその日から逆算して段取りをつけ、ボスに報告し後任の募集、面接、研修と続けて予定通り、今年の3月末に最後の出勤をしました。 有給の関係で先月までは社に籍があったのですが、それも5月に入って正式に退職の手続きをしておしまい。 気がつけば「無職」の私がここにいます。 後任の方の研修を続けているとき、時々寂しくて(そのデスクは私のなのに……)と今更自分が決めたことが悲しくなりかけたり、事情を知った職場の同僚から「もったいない」といわれるたびちょっと落ち込んだり。 大好きで、私の居場所で、生きがいだった場所へ、今はもう行くこともありません。 出勤しなくなってから、朝、目が覚めると(仕事に行かなくていいんだ)というほっとした思いがあり、気がつけばあれほどつらかった倦怠感や胃の痛みや頭痛がいつの間にか薄らぎ消えかかっています。 今までよりゆっくり丁寧に家事ができる、庭の花もゆっくり世話できる。 読みたかった本も読み放題。 けれど、その反面、(このまま家でのんびりしてていいのかな)という思いも段々膨らんできて自分と社会とのつながりがなくなることが気がかりにもなってきています。 のんびりと過ごす時間に、安心と焦燥を覚えながら、(もう一度、何かができるだろうか)と滑走に向けて思案する毎日です。 |
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