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宋胡録、いろいろ
2009/01/07(Wed)
新しい年が明けて、でも気がつくとあっという間にもう1週間が過ぎていました。
大学勤務の連れ合いは世間一般の会社勤めの人とはちょっと違うペースで生活しているけれど、さすがに授業も始まって我が家もようやく「ふだんの生活」が戻ってきました。

年末から年始にかけて両方の実家に数日、その後、家に戻って例年のごとく、我が家の神社(と、勝手に決めてかかってる)上賀茂神社に初詣に出かけました。

1月3日、天気予報は曇り時々雨、降水確率30%。

一か八かで、着物で出かけることにして、割合に好きな付け下げとコートでゆるりと歩いていると、
あ・・・・・・ やっぱり
ちょっと雨が落ちてきました。
まぁ気にするほどでもないのでシャリシャリと賀茂川沿いに歩いていきました。

今年はデジカメも携帯も忘れていって画像はなし。
毎年と同じように、参道に神馬(しんめ)ちゃんが年始の顔見世しています。
そして、やっぱり今年も携帯やカメラを手にパシャパシャと画像を撮る人に囲まれながらも目の前の人参を食べることが出来ない神馬ちゃんはやさぐれて(と、いう風にみえました、私には)います。

早速人参の入ったお皿を分けていただいて神馬ちゃんの口元に差し出すとそれはそれは上手に食べること。
後ろではいっせいにシャッターを押す音、「なんや、すぐ食べてしもた」という声も・・・・・・
神馬ちゃん、今年もお疲れ様です、と心の中でお話してお参りへ。

おみくじは中吉。

下鴨神社の糺の森や、歩いていける範囲にあるいくつかの神社、どこも好きだけど、やっぱり一番すきなのは上賀茂神社やなぁ、と、こうして初詣に出かけてくると改めて思います。
京都の北のほうにあるせいか、街中の神社とはちょっと違った空気がここにはある、そう思える場所です。

お参りのあと、上賀茂神社近くの「すぐきの成田」さんへ。
ここのすぐきを食べたらなんだかよそのすぐきは食べられません。
何が違うんでしょう、製法か、すぐきそのものか、
酸味が優しくて上品なお味。
一緒に、ひのなや大根なんかのお漬けもんも買って帰りました。


今年のお正月のお花を生けた器、宋胡録の鉢についていくつかコメントをいただけたのに気をよくして、今日は我が家にいる宋胡録をいくつかご紹介します。

日ごろ、ついつい「食べブログ」しがちなわたくし。
たまにはブログ名にふさわしい話題でお付き合いくださいませ(笑)

宋胡録の青磁から、お茶碗
見込みのぐるぐる文がちょっとかわいいんです。
sunko wan1

耳のついた小壷は高さ5センチくらい、うしろに見えてる白釉の小壷はそのデザインが中近東の影響を受けたように思います。



sunko guinomi

この杯は高さが4センチくらい、ちっちゃいけれど、買うのには思い切りの要るお値段でした。(器の話をするときにお値段の事を言ってはいけません、が、皆が白洲正子さんのようにはいきませんもの、しんどいものはやはりしんどい・笑)
釉薬の具合がなんともいい感じ。

そして、これ
sunko yuudare

高さ2.5センチくらいの小さい小さい壷。
でも実はうちにいる宋胡録青磁の中では私が一番好きなもの。
この釉溜りを見ていただきたくてあえて高台側から撮りました。
このブルーの、とろん、とした釉薬の溜まったのがなんとも愛らしく、ついつい手にとって触っては、にやにやしてしまうんです。
この頃の青磁は中国のものにも似たものがいくつかあります。
見分ける一番のポイントは土です。
素地に鉄分が混ざった、ごま土が宋胡録の特徴で、そのごま土が中国物やそのほかの東南アジア陶器と区別する目安だと思います。

宋胡録は鉄釉のものや藍呉須も多く、昔からお茶の席では「柿の蔕」と呼ばれている交合は有名ですが、あの柿の蔕をかたどったような蓋のついた交合、実はマンゴスチンを模ったものなのだとか。
南国ですから、柿よりはマンゴスチン、ですが、それを昔から茶人たちは柿に見立てて愛でてきたんですね。

青磁とはまったく雰囲気が異なりますがこれらも宋胡録です。

sunko tetuyuu syuugou

同じ土から作られた同じ窯の焼き物でも絵付けや釉薬で全く感じが変わってしまうのは面白いですね。

sunko tori

これは蓋の部分が鳥を模っている交合。
手前が頭、後ろ側に見えている少し広がったような部分が尾羽根です。
これで直径が4センチくらい。

sunko hyougara

褐釉で絵付けしてありますが、かせが目立ちます。
こんな風にかせてる器たちは海上がりか発掘物が多いようです。
タイで作られて、信長・秀吉が統治した時代以前ごろからすでに日本へ向けて輸出されていた東南アジアの陶器は、難破船が引き上げられたとき大量に出てくることがあって、おそらくこの小さな陶器たちもそんな海上がりのものなんでしょう。

はるか昔の時に生まれ、長い長い時間、海の底や土の中で、器たちは何を見てきたんでしょう。
伝世の、人の手によって育てられてきた器には独特の味がありますが、この器たちにもこれからいい味がついて育っていってくれるでしょうか。
縁あって我が家にやってきた器たち。
長い旅の終わりはまだまだ先です。

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謹賀新年
2009/01/01(Thu)


2009年 新しい年の始まり。

今年も1年、皆様にとって素晴らしいことがたくさん待っている年でありますように。


花器に使ったのはスンコロク青磁の鉢です。

sunko 1


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ワンコインの幸せ
2008/07/10(Thu)
北山通りから下鴨本通りを少し下がってきたところにお野菜と花を扱う小さなお店があります。
長い髪を後ろで束ねてひげを生やした若い人が二人でやっています。

おそらく、(と、これは私の勝手な憶測ですが)西賀茂あたりの農家で作られているんでしょう、無農薬の野菜を数種類置いています。
トマトやきゅうりやナスは畑で十分色付きました、といった風でいかにも美味しそうなんです。

壁のボードにはこのお店が野菜を納めている食べもん屋さんの名前がたくさん書かれていて、その中にはここでもご紹介したことがあるお店もいくつか名前が挙がっています。

お店の前には無造作に花をいれたバケツが並んでいて、季節の花があふれんばかり。




両手で抱えるほどの束。
家に帰って早速水揚げをしてあちこちの部屋に活けてまわります。




これは時代は詳しくわかりませんが朝鮮のもので、油壺として使われていたようです。
我が家にやってきたとき、お湯につけて油を抜いたのですが、それでもやっぱりこうして水を注ぐと釉薬を塗った肌のうえにねっとりと油がにじみ出てきます。




こっちはわりあい最近うちにやってきた備前。
隣に写っている鏡は連れ合いの両親が結婚して初めて買った鏡で、それを譲り受けました。




こうして画像にしてみると器と花の高さのバランスが悪いですが、まぁ、ご愛嬌ということで、白磁壷。




大のお気に入りの黒高麗にはグラジオラス。
グラジオラスにいけかえるまでは庭のなでしこを飾っていました。


どちらがお好みでしょうか?




草花文の染付けの壷にはこの色を選びました。
壷は李朝物、隣に写る孔雀文の皿は中国のものですが並べておいてもあまり違和感はないように思います。

これだけたっぷり楽しめて500円はお買い得。
家の中に花があるとそれだけで幸せな気持ちになれます。

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器のこと、花のこと、野菜のこと
2008/05/27(Tue)
先週 我が家に古備前の壷がやってきました。

東京・日本橋の古美術店からのご縁です。




たっぷりゆったりとしたおおらかな器形
斜めに入った火襷と灰をかぶった自然釉の具合もなかなかです。
元々は耳が3つ、ついていたようですが、完全なのは1つだけであとの二つは付け根の部分を残して取れてしまっています。

何に使われていたのでしょう。
種壷か、水や調味料を入れていたのでしょうか

大振りの花木を挿してあげたいと思いながら、なかなか花屋さんの店先でいい組み合わせになるような花を見つけられずにいます。

こちら李朝の膳、小盤(ソバン)の上の白磁壷には芍薬



この小盤にはここが定位置になっている伊万里の皿も飾っています。
図柄がちょっと珍しい、お気に入りの大皿です。

ところで、
玄関先のヤマアジサイが次々と花を咲かせ始めました。




小さいけれど愛らしい花(本当はガクですけれど)

アジサイは水が大好きな木。
今の時期、水遣りは薮蚊との戦いです。
どうも私は薮蚊に愛される体質らしく、ほんのちょっとした隙に血を吸われてしまいます。
今日も花殻を摘んでいるときに耳の付け根の後ろ側を刺されて、痛いしかゆいし、大変でした。

今年初めての挑戦の万願寺唐辛子は順調に育って、明日あたりにははじめての収穫ができそうです。




こちらは緑豆から作ったもやし




意外なほど簡単にできました。
根っこの掃除が大変でしたけど、しゃきしゃき歯ざわりが美味しくて売ってるスーパーのもやしとはまるで別の野菜のよう。
我が家のスプラウト生活は当分続きそうです。

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宋 元 と 高麗  大和文華館
2008/02/06(Wed)
会期も残すところわずかになった、大和文華館で開催中の

「宋 元 と 高麗  東洋古典美の誕生」 展 

にでかけてきました。

いつものように、奈良・斑鳩1Dayチケットを使って、京都市営地下鉄からそのまま、奈良へとでかけて行きました。

80あまりの展示品は、東アジアの美術に大きな影響を及ぼすことになる、宋や元、朝鮮半島の高麗の名品の数々。

主な展示物は陶磁器でしたが、数点、仏画や経文などもありました。

青磁や白磁の鉢や碗はいずれも繊細で美しいものばかり。
よくぞこんなに薄く、きれいな形にろくろをひける技術があったもの、と感心してしまう碗がいくつもありました。

その中の一つ、
黒磁金彩碗




天目のようにみえるこのお茶碗、
小ぶりですが、素晴らしい器形で、ところどころ、金が残っています。
定窯で作られたものです。
定窯ではこの黒釉の他に、白磁・柿磁が焼かれていたそうです。
高台が小さく、外へと広く反っていく形が美しかったです。


同じ黒でもこちらは黒高麗




どろりと重い感じの釉薬のかかり具合がやさしく、思わずさわってみたくなる感じ。
高さは40センチあまりです。
でも、こんなバランスの瓶、家にあったら怖くてお掃除出来ないでしょうね。

展示されている陶磁器はどれももちろん素晴らしいものでしたが
今回、私が興味深く見ることができたのは中国・明時代に描かれた
「文姫帰漢図巻」でした。

リンク先の遊行 七恵 さんの記事でも詳しく触れられていますが、
この絵に描かれている文姫とは蔡文姫の事。

蔡文姫は、後漢(25~220年)晩期の人。幼少のころから利発で、博学多才、詩と詞、音律に通じていました。
 
父は、権臣王允の恨みを買い、無実の罪を着せられて殺害され、嫁入りした次の年に夫を亡くした文姫は、戦乱の中、匈奴によって河南の故郷から連れ去られ、匈奴の左賢王に嫁がされて12年を過ごし、2人の子をもうけました。
 
三国志でも有名な曹操は、北方を統一した後、よき友だった文姫の父、蔡ヨウを懐かしみ、彼の娘が不運であることを知って高価な贈り物を持たせた使者を匈奴のもとに遣わし、彼女を請け出したいと望みます。匈奴は蔡文姫の帰漢を認めますが、子供を連れて帰ることは許さしませんでした。文姫は悲しみをこらえて子供たちと別れるしかなかったのです。
 
その文姫が、子供との別れを悲しみながらも懐かしい漢の人の話す言葉を嬉しく聞き、
また、お金や高価な贈り物を受けとりながらも美しく教養あふれる妻を、涙で見送る左賢王などが生き生きとした様子で描かれていました。

充実した気持ちで外に出ると、美術館の建つ小高い山の中の梅林にはもうちらほらと梅が咲き、すがしく香しい花の香りが空気の中を漂っています。




春の桜も素晴らしいけれど、まだ寒いなかで香り高く咲く梅が私は好きです。

こちらは蝋梅




侘助椿もきれいに咲いています。




今年、わが家には4本の椿の苗木が仲間入りしました。

寒咲きアヤメなんて初めて見ました。




いつきてもここは花木が素敵に迎えてくれます。
上をみたり、下をみたりしながら山道を歩いていると、

ぼたっ、ぼたっ と音をたてて木の実が次々と落ちてきます。
ビックリして上を見上げると




わかりますか?
鳥が木の実をつついて食べるたびにたわわになった実のいくつかが私のすぐ側に落ちてきているのでした。

木にかかっている札を見ると「栴檀 (せんだん)」とあります。
5月から6月にかけてかわいいむらさきの花をつける木だそうです。

”栴檀は双葉より芳し”

の、栴檀は、この木ではなく、白檀の木のことだそうで、
白檀は別名、せんだん、といい、

栴檀は双葉より芳し  とは、
白壇は発芽の頃から早くも香気があるように、大成する人物は、幼いときから人並みはずれて優れたところがある

ということなんですって。

そうそう、帰り際、門のすぐそばでツツジが咲いているのを見つけました。

椿と梅とアヤメとツツジ、
一緒に見る事ができてちょっとうれしくなったお庭でした。








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