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宋 元 と 高麗 大和文華館
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2008/02/06(Wed)
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会期も残すところわずかになった、大和文華館で開催中の
「宋 元 と 高麗 東洋古典美の誕生」 展 にでかけてきました。 いつものように、奈良・斑鳩1Dayチケットを使って、京都市営地下鉄からそのまま、奈良へとでかけて行きました。 80あまりの展示品は、東アジアの美術に大きな影響を及ぼすことになる、宋や元、朝鮮半島の高麗の名品の数々。 主な展示物は陶磁器でしたが、数点、仏画や経文などもありました。 青磁や白磁の鉢や碗はいずれも繊細で美しいものばかり。 よくぞこんなに薄く、きれいな形にろくろをひける技術があったもの、と感心してしまう碗がいくつもありました。 その中の一つ、 黒磁金彩碗 ![]() 天目のようにみえるこのお茶碗、 小ぶりですが、素晴らしい器形で、ところどころ、金が残っています。 定窯で作られたものです。 定窯ではこの黒釉の他に、白磁・柿磁が焼かれていたそうです。 高台が小さく、外へと広く反っていく形が美しかったです。 同じ黒でもこちらは黒高麗 ![]() どろりと重い感じの釉薬のかかり具合がやさしく、思わずさわってみたくなる感じ。 高さは40センチあまりです。 でも、こんなバランスの瓶、家にあったら怖くてお掃除出来ないでしょうね。 展示されている陶磁器はどれももちろん素晴らしいものでしたが 今回、私が興味深く見ることができたのは中国・明時代に描かれた 「文姫帰漢図巻」でした。 リンク先の遊行 七恵 さんの記事でも詳しく触れられていますが、 この絵に描かれている文姫とは蔡文姫の事。 蔡文姫は、後漢(25〜220年)晩期の人。幼少のころから利発で、博学多才、詩と詞、音律に通じていました。 父は、権臣王允の恨みを買い、無実の罪を着せられて殺害され、嫁入りした次の年に夫を亡くした文姫は、戦乱の中、匈奴によって河南の故郷から連れ去られ、匈奴の左賢王に嫁がされて12年を過ごし、2人の子をもうけました。 三国志でも有名な曹操は、北方を統一した後、よき友だった文姫の父、蔡ヨウを懐かしみ、彼の娘が不運であることを知って高価な贈り物を持たせた使者を匈奴のもとに遣わし、彼女を請け出したいと望みます。匈奴は蔡文姫の帰漢を認めますが、子供を連れて帰ることは許さしませんでした。文姫は悲しみをこらえて子供たちと別れるしかなかったのです。 その文姫が、子供との別れを悲しみながらも懐かしい漢の人の話す言葉を嬉しく聞き、 また、お金や高価な贈り物を受けとりながらも美しく教養あふれる妻を、涙で見送る左賢王などが生き生きとした様子で描かれていました。 充実した気持ちで外に出ると、美術館の建つ小高い山の中の梅林にはもうちらほらと梅が咲き、すがしく香しい花の香りが空気の中を漂っています。 ![]() 春の桜も素晴らしいけれど、まだ寒いなかで香り高く咲く梅が私は好きです。 こちらは蝋梅 ![]() 侘助椿もきれいに咲いています。 ![]() 今年、わが家には4本の椿の苗木が仲間入りしました。 寒咲きアヤメなんて初めて見ました。 ![]() いつきてもここは花木が素敵に迎えてくれます。 上をみたり、下をみたりしながら山道を歩いていると、 ぼたっ、ぼたっ と音をたてて木の実が次々と落ちてきます。 ビックリして上を見上げると ![]() わかりますか? 鳥が木の実をつついて食べるたびにたわわになった実のいくつかが私のすぐ側に落ちてきているのでした。 木にかかっている札を見ると「栴檀 (せんだん)」とあります。 5月から6月にかけてかわいいむらさきの花をつける木だそうです。 ”栴檀は双葉より芳し” の、栴檀は、この木ではなく、白檀の木のことだそうで、 白檀は別名、せんだん、といい、 栴檀は双葉より芳し とは、 白壇は発芽の頃から早くも香気があるように、大成する人物は、幼いときから人並みはずれて優れたところがある ということなんですって。 そうそう、帰り際、門のすぐそばでツツジが咲いているのを見つけました。 椿と梅とアヤメとツツジ、 一緒に見る事ができてちょっとうれしくなったお庭でした。 ![]() |
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