スポンサーサイト
--/--/--(--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
この記事のURL | スポンサー広告 | ▲ top
舞子の海
2007/11/30(Fri)
仕事の関係で、久しぶりに舞子に行ってきました。

神戸市の一番西の端、明石との市の境はすぐそこです。

残念ながら曇っていたので、キラキラときらめく海面を見ることはできなかったのですが、ホテルの7Fにあるビューポイントから見た舞子の海と、明石大橋です。




対岸の淡路島が、(泳いでいけるかも?)くらいの距離にみえます。

不思議に、海を見ると心がすーーーっと落ち着くような気がします。
瀬戸内は、日本海とも太平洋とも違う、
やさしい穏やかな海です。

若い日に、毎日のように瀬戸内海を見ながら学校に通っていた日を、懐かしく思い、
デートした事や、早くに暮れていく冬の日をうらめしく思いながら、彼に見送られて電車に乗りこんだことを思い出しました。

会議の休憩時間に、この場所に来るたびに海はその色を少しずつ変えていました。

ホテルのこのフロアに飾られていたツリー。




フロントロビーにあった、大きなツリーに比べるとちっちゃなちっちゃなツリーでしたけど、
私はこちらの方がかわいくて好き。

仕事が終わって、外に出てみると、朝からの曇り空がうそのように、夕焼けが広がっていました。
茜色の空を見ながら、少し切なく、名残惜しい気持ちを抱えて、タクシーに乗りこみました。






スポンサーサイト
この記事のURL | 出来事 | CM(6) | TB(0) | ▲ top
神社とお寺
2007/11/27(Tue)
夏ごろから夜のウォーキングを始めた事は以前に書いたことがあるのですが、最近では歩く事に慣れてきたのか、だんだんと距離がのびてきています。

私の暮らす家は、東西でいうと烏丸通り、南北では、鞍馬口(京の七口の一番北にあたる通り)と北大路の中間あたり。

最初の頃は家を中心に全行程を1時間半ほどかけて歩いても南へは丸太町通りあたりまで下がって戻るのがせいぜいだったのですが、
気がつけば二条あたりまでは割と普通に歩くようになってきていて、二条城のお堀をぐるっとまわって帰路につくコースを何度か歩いていました。

今夜、これまで歩いた中で一番南、三条を踏破してきました。
そして、以前からずっといってみたい、と思っていた、リンク先の神主さんのいらっしゃる、武信稲荷神社にお邪魔してきました。
と、いっても時間は夜の10時20分(神社の時計で確認したので間違いありません)
いったん千本通りまで出て、千本を三条まで下がっていったので1時間15分ほどかかりました。

三条の商店街を西の端から歩いていくと中ほど、通りの南に御神燈がくっきりと見えました。
きっとあそこに違いない、と通りを入っていくと「稲荷湯」というお風呂屋さん。
やっぱり!
近くに行くと御神燈には以前にブログ上で教えていただいた宝珠がかかれています。

携帯もデジカメも持たずに歩いていたので画像を撮ってくることはできなかったのですが、
神社におかれていた冊子をいただいてきました。





中には狛犬さんについての説明が書かれています。




神主さん、ごめんなさい。 コートのポケットに入れていたのでちょっと皺になってしまいました。

それにしても、夜の10時すぎにお稲荷さんにお参りするのもどうかと思いますが、
境内は灯がともされ、御神木の榎(それはそれは立派な木でした)も拝見させていただきました。

以前からずっと、「なぜだろう?」と思っていたことがあります。

それは、神社のお寺の様子の違い。
もちろん、違って当たり前なのですけれど、私が不思議に思っているのは、『囲い』と『あかり』についてです。

夜、歩き始めてからますます不思議に思うようになってきたのですが、
神社は、たいてい、どちらでも夜になると御神燈を明々とともされ、どこか昼間寄せていただくより神々しい感じがして、いつも自然と手をあわせてしまう、厳かな感じがします。

ところが、お寺は大抵夜にはしっかりと門を閉じ、あかりもほとんど見ることがありません。

そして、門囲いですが、寺院の大方はしっかりした白壁で囲まれ、ちょっと見には中の様子がみえないところが多いように思います。
対して、神社は、石柱でその地所を取り囲んではありますが、どこかオープンスペースに近い感覚、と言うような感じがします。
塀で囲まれている神社、ってあまり見たことがありません。

ネットですこし調べようとしたこともあるのですが、これらの2つの違いの答えを見つけることはできませんでした。

神主さまならご存知でしょうか?

ところで、往路は1時間15分かかった今夜、武信稲荷神社からの帰りは堀川~烏丸へと移動したので1時間で帰り着きました。

京都の、しかもローカルな通りの名前ばかリで、訳がわからない方、ごめんなさい。
とりあえず、私はこの数ヶ月ですごい健脚になったのだなぁ、と思って下されば正解です。




この記事のURL | ぐるり京都 | CM(14) | TB(0) | ▲ top
トプカプ宮殿の至宝展は薔薇の香りに包まれて
2007/11/24(Sat)
京都文化博物館で開催中の「トプカプ宮殿の至宝展」にでかけてきました。




会場となっているのは文化博物館の4F。
エレベーターを降りると甘い花の香り。
どなたかがつけてらした香水か・・・・・・

そう思いつつ会場入り口を入ると展覧会には付き物の「出品目録」
見ると、二つの山に分けられていて
「薔薇の香りつき」「香りなし」となっています。




さっき感じた香りの正体はこれのようでした。
迷わず「薔薇の香りつき」を一部いただいてさっそく鼻元に近づけて見ましたが、会場があまりにも薔薇の匂いで充満していて、目録自体の香りがよくわかりません。
ざんねん!

さて、展示されているのは

強大な武力の象徴である武具・武器の数々はトルコ石やルビーなどの宝石で飾られ、闘う前にそれを見た敵に対し、財力を見せつけることで戦意を喪失させるという目的を十分に果たしていたのだろう、と思いました。

また、展示品の中には公文書もありました。
王の花押の入った文書は、文字そのものが美しい一つのデザインになっていて、いかにもこの国が、財力が豊かなだけだったのではなく、文化的にも勝れていて、名実ともに優雅な生活をおくっていた、ということがよくわかりました。

そして、武器や書類や、絵画にはコーランの教えが、美しい飾り文字で描きこまれています。
偶像崇拝を禁じられていたイスラーム。
キリスト教や仏教などのように「神」の姿を摸した像は何もありませんでしたが、王の姿を描いた絵画が数点。
それは模造紙のような固い感じの紙に顔料で描かれていましたが、背景を金箔で飾るなど、江戸時代の日本の絵を、どこか思わせるところもありました。

考えてみると、オスマン帝国の位置した地中海と黒海に挟まれたあたりは、まさにシルクロードの中心地。
東と西を結ぶ、すべての文化はここからはじまった、と言われている土地。
衣服、日用品、楽器、料理 などがここから四方へ広がり少しずつ姿を変え、その土地土地に根づいていったのでしょうね。

それにしても、すべてのものが、これでもか、というくらい色とりどりに宝石で飾られ、そのまばゆさはため息が出るほどでした。
女性の入場者がとりわけ多いのも納得です。
アクセサリーはいうに及ばず、食器や履物にまでも宝石がちりばめられています。

チケットに印刷されているのはターバン飾りですが、これの実物も本当に見事でした。
なにより中央のエメラルドの大きいこと、そして色の深いこと。

衣類にはチューリップなどの花がびっしりと刺繍され、てぬぐいは、ガーゼやオーガンジーに金糸・銀糸を織り交ぜた色とりどりの色糸で飾られています。
あんな薄くて柔らかい生地に刺繍を施すのはどんなにかたいへんな事でしょう。
わたしだったらもったいなくてとても手を拭いたりできません(笑)

会場の最後のコーナーには、中国・景徳鎮窯や龍泉窯で焼かれた青磁の大皿や、壷。
その壷には取っ手と注ぎ口を銀で細工して作り、水注に作り替えられていました。

会場出口にはミュージアムショップがあり、薔薇の香りのワセリンクリームと薔薇のローションが売っていました。
買おうかどうしようか随分迷っていたら、レジ横にテスターがあるのを発見。
クリームを手に擦り込んでみました。
わぉ! すごい薔薇の香り。
・・・・・・これ、ぬったままお料理はできないなぁ

で、断念。
代わりに(?)、フルーツのジェリーとチャイティー用の茶葉を購入。




このジェリー、美味しいんです!
しっかりした歯ごたえと、フルーツの甘み、それに、ジェリー同士がくっつくのを防ぐために白い粉(なんだか怪しげ?)がいっぱい振りかけてあるんですけど、この粉、薔薇の香りがするんです。
たぶん、薔薇の匂いつきの粉砂糖かな?

このジェリーを買うためだけでももう一度行ってみたいな。


この記事のURL | ぐるり京都 | CM(7) | TB(1) | ▲ top
小町寺
2007/11/20(Tue)
先日の鞍馬 山歩きの帰り道、だらだらと続く下りの坂道に足がすこしダメージを感じていた頃、偶然「小町寺」と書かれたお寺を見つけました。
?、もしや……と思い説明板を見てみると、予想通り、小野小町ゆかりのお寺です。
有名な、あの小町の年老いてからの姿の像があるお寺でした。
小さな山の上のお堂まで上がってみました。




きっと拝見することはできないだろう、と思いつつも、まったく予想外に行き着くことができた小町寺ですから、せめてお庭だけでも観ることができたら、という気持ちからでした。




通称「小町寺」、補陀洛寺(ふだらくじ)は洛北、静原にあり、目の前のバス停名前も「小町寺」とありました。

お寺でいただいた案内記によると、小町は陸奥の国までも漂泊の旅を続け、晩年、懐かしさ
から父が住んでいたこの静原に帰り着くも昌泰三年(900)にこの地で亡くなったとあります。
その亡骸は弔う人もなく風雨にさらされ、髑髏と化していたと伝わっているそうで、「穴目のススキ」伝説もこのあたりから生まれているのでしょう。

境内には小野皇太后(後冷泉天皇の皇后)の碑や、小町の元に通いつづけた深草の少将の供養塔、小町が姿をうつしたといわれる、小町姿見の井戸、小野小町供養等などがありました。

本堂は鍵がかかっていて、けれどガラス張りなので中の様子を見ることができます。
どうやらご本尊は立派な阿弥陀さまのようでした。
来迎トリオの「勢至菩薩・観音菩薩」の3体が安置されています。

間近でみたいなぁ、と思いながら周りを見渡していると、お堂のそばの小さな建物の入り口にインターホンがついています。

思い切ってボタンを押してみると応答が!
仏さまを拝見したいのですが、と告げると「5分ほどお待ちください」とお返事がありました。
お寺のかたはどこか近くにお住まいのようで、そこから着て下さるようです。

しばらく待っていると案内して下さるかたが鍵を開け、中に入れてくださいました。

近くで拝見すると、ご本尊は一木造り・半丈六の立派な仏様です。

由来を説明してくださったところによると平安時代のもので、一時傷みがひどかったそうですが、この場所にお堂を再建しおまつりすることになったとき、修復に出され、きれいになってお戻りになったそうです。

小町老衰の像は、その観音様の傍らに、厨子に入って半跏の姿で彫られていました。
こちらの像は鎌倉時代のものだそうです。

しばらく心静かに仏像を拝見し、案内して下さった女性とお話をさせていただいておいとましました。

思いがけず訪れることができた小町寺でしたが、これもなにかのご縁だったのでしょう。

ひっそりと、往時を偲ばせる、洛北のお寺でした。

この記事のURL | ぐるり京都 | CM(6) | TB(0) | ▲ top
鞍馬寺から貴船神社まで
2007/11/18(Sun)
晴天に恵まれた中、鞍馬寺から貴船神社までの山歩きを楽しんできました。

鞍馬寺まで、マイカーでなければ叡山電鉄を利用する方が多いようです。
特に今の時期は紅葉を見るためのパノラマカーが走っていたり、もみじのトンネルになっている線区がライトアップされたりしていて観光客の方が多いのです。

最初、自宅から全行程を歩きで、と計画していたのですが、大いに不安もあり、とりあえず行きはバスで鞍馬まで行き、帰りを歩くことにして出かけました。

10時、バスは最寄の停留所を出発。
鞍馬まで約30分、途中、普段はみることにない景色を楽しみました。
鞍馬寺の参道はおみやげ物やさんでにぎわっていました。







鞍馬寺の山門をまもる狛犬、ならぬ狛虎です。

こんな風に虎が、「阿吽」でいるのをはじめてみました。
後で宝物館に展示してある木彫の狛虎の説明で、虎は毘沙門天の神獣だと知りました。
なるほど、だから、山門も、金堂も狛虎だったんですね。

しばらく石段を登っていくと、鞍馬の火祭りで有名な由岐神社がみえてきます。
そのすぐ側に、魔王の碑というのがありました。

鞍馬山は、今から650万年前、魔王尊サナート・クマラが、はるか宇宙のかなたの金星から、白熱の炎に包まれ天地を揺るがす轟音とともに降臨した地、という伝説がある不思議な聖地です。

その碑のすぐそばには魔王の滝もありました。



鞍馬寺は、お寺とはいうものの、ご本尊は奥の院魔王殿に安置される魔王尊サナート・クマラ(鞍馬という名前はここからきている、と言われています)で、仏教と山岳信仰が融合したような大地の霊気を感じる場所です。

鞍馬の山で天狗に兵法を教わりながら修行した、という義経の供養塔を杉九十九折を行くと金堂があります。

こちらは、金堂前の虎さん。




鞍馬寺の山内にはいたるところに大きな杉があって、それぞれをご神体としてお守りしている社がいくつもありました。
いったいどれくらいこの地に根を生やし、どんな歴史の流れを見守ってきたんでしょうか。





金堂で一休みさせていただき、奥の院へと向かいました。
山を奥へとどんどん登っていくと「大杉」の標識があり、奥の院への道筋とは少し外れますが行ってみる事にしました。

急な道を登って山の奥のほうへと行くとひときわ背の高い大木がみえてきました。
これが大杉権現。
木の根が露出してまるで生き物(もちろん、木は生きていますが)のようにうねって大地をはっている「木の根道」です。



訪れる人も少ないのか、お社は傷みが進んでいましたが、ここがこのお山の本当の中心、そんな感じがしました。

もとの道へと戻ってしばらく行くと奥の院・魔王殿です。



鞍馬山の山門をくぐってからここまで、1時間半くらいだったでしょうか、途中、道がけわしくなっているところもありましたが、気持ちの良い空気がいっぱい。

しばらく休んで今度は貴船方面へと下っていきます。

山は、のぼるよりも下る方がはるかにこわい。
湧き出る水で足元がジュルジュルしているところもあって、思わず足に力が入ります。

そんなけわしい下り道の途中に




不動明王のようです。
これ、ほんとにすごい山の中なんですよ。

山深く、木々が高く、あまり日が差し込まないのか、ぬかるむ足ともとを気遣いながら急な曲がり道を下って、ここが貴船への降り口です。




鞍馬寺の西門にあたる場所です。
今度はそのまま、北西方面にある貴船神社に向かってまた坂道を登っていくのですが、道はきれいに整備されているし、両側には川床料理で有名なお店がずらっと軒を連ねています。




川中にはこんな生け花も。

そして、これが加茂川の水源を司る貴船神社、入り口です。




鳥居の連なる参道を歩いていくと、女性の参拝者がたくさんいらしていました。
貴船は鞍馬と違って車で楽に上がってくることができるので観光バスも数台、スーツ姿の男性が歩いていたりして、ここが山の中なのが不思議な感じ。




神殿のそばには神水が山中から流れ落ちてきていました。




ここのおみくじは、この神水につけると文字が浮かんでくるようになっています。




「吉」でした。
恋愛、うまくいく、って書いてあって思わず意味もなく嬉しくなるのはどう言うんでしょうねぇ(笑)

ここで、お昼ご飯におにぎりを食べて、一休み。
ここからさらに奥の院へと向かいました。
奥の院へお参りしてから引き返し、エネルギーの補給に粟餅入りのおぜんざいを食べ、朝はバスでやってきた道のりを、歩いて戻っていきました。

家に帰り着いたら5時過ぎ。
足がすこし痛くなっていました。





この記事のURL | ぐるり京都 | CM(10) | TB(0) | ▲ top
北村美術館
2007/11/17(Sat)
河原町今出川を下がったあたり、少し入り組んでわかりにくいところに北村美術館はあります。

奈良県吉野地方で代々林業を営む家に生まれた実業家の北村謹次郎氏が蒐集した茶道具類を展示している私設美術館です。





ここでは12月9日まで、開館30周年記念の「暦年の茶」と銘打って北村コレクションを展示しています。





訪ねた日は、どこかで大きなお茶会でもあったのか、和服姿でお茶会帰りらしきご婦人が数人、わいわいとにぎやかにお茶碗などを見学されていました。

美術館としては小さな空間に、茶事の順番にそうようにお道具が展示されています。

古田織部の手による手紙をお軸にしたてた掛け物からはじまって、汲み出し碗や、盆、火入れ、手あぶり、
まるで茶室に通されて拝見していくかの如く、炭や香合、お釜、掛け花入れと続いていきます。

お濃茶ようとして、お茶碗は、大名物の古雲鶴疋田筒 
火入れを見立てたような、筒茶碗、雲と鶴の文様が描かれています。
器としてはとても上品で美しいものでしたが、実際、お茶を点てるとなると少し扱いが難しそうでした。
替茶碗は光悦の黒楽茶碗、銘は「東」
こちらは光悦にしては印象がポッテリとして、あたたかみのあるお茶碗です。

遠州作の茶杓、 縦にちょうど半分あたりで斑が入ったようになっている部分と、竹そのものの肌合いとがわかれている、なかなか面白い茶杓でした。

薄茶用のお茶碗は黄瀬戸
胴紐のあたりがすこしふくらみを持っていて、黄瀬戸には珍しい、柔らかい曲線を描いたやさしいお茶碗でした。
銘は「唐衣」

他にも茶道具やお軸が数点、

どれもさり気なく展示されていますが、重要文化財がいくつもありました。

ここの受付をされている方は上品な御婦人で、包み込むような笑顔で迎えて下さいます。

北村美術館には鄰接する北村邸のなかに『四君子苑』という数寄屋建築の茶苑があり、ちょうど美術館の2階部分のロビーからその様子をガラス越しに見ることができます。




北村美術館をでて、すぐ南、以前からいって見たかった「李青」という
朝鮮美術を配した喫茶店でお茶にしました。






メニューにはコーヒーや紅茶などもありますが、ここでは韓国のお茶をいただくことができます。
クコの実のお茶や、漢方のお茶、柚茶、高麗人参のお茶など、
どれをいただこうか、メニューを見て迷ってしまいます。

結局、柚茶をえらんで、お店の中の美術品をながめながらゆっくりといただきました。

店内には李朝の家具が置かれ、その上に白磁の壷や、民芸品、朝鮮に関する本などが飾られています。





韓国の民族音楽が流れる中で静かな時間が流れていきます。

秋の行楽シーズン真っ盛りの京都。
観光地を少しはずれたこんな場所でオフタイムを楽しんできました。
この記事のURL | ぐるり京都 | CM(4) | TB(1) | ▲ top
奈良行 正倉院展
2007/11/11(Sun)
正倉院展の入り口の列の長さに負け、とりあえず奈良博・本館へと向かいました。

ここはいつきても至福の空間、仏三昧です。

今回は、乾漆八部衆勢揃いの影響か、興福寺の板彫り十二神将さんたちはこちらにいらしてました。
秋篠寺の梵天さんや、救脱菩薩さま、元興寺の薬師如来の美しいこと。

今回の「注目の逸品」は、准胝観音.
説明文によると個人蔵だそうです。まだまだいらっしゃるんですねぇ、こういう仏様を個人で持っていらっしゃる方が。

不思議な雰囲気をかもし出している観音様です。
全体的にはすんぐりとした印象で、頭部の大きさに比べて足は短く、18本ある手もついている位置が少し下かな、という感じです。
ですが、光背は美しい彫刻が施され、そのお顔もしばらく見ていると穏やかで素朴な中に暖かみを感じます。

また、今回は、本館メインの建物と渡り廊下で繋がっている、第14・15室の坂本コレクションも見てまわることができました。

坂本コレクションは、古美術商をしていた、坂本五郎氏が蒐集した青銅器を寄蔵されたものです。
一歩中に入ると青銅器があふれています。
その形によってそれぞれにつけられている名前を追いながら順に見ていくと2つの形が組合わさったものはその名前も2つ、組合わさっていて、その系統だったコレクションと展示の順番のお蔭で、予備知識無く見学していても青銅器の形・名前・用途のある程度のルールが自然と理解できるようになっていました。

その坂本コレクションを納めた建物からみた本館です。




美しいですね。
京都国立博物館も立派な建物ですが、こちらもなかなかどうして。
鴉が一羽、屋根にとまって羽を休めていましたが、やがて一声鳴くと東の空へと飛び去っていきました。

本館を出た後、もう一度新館の入場の列をチェック。

あ・・・・・・ まだだめだ
列はちっとも短くなってなんかいません。
お茶でものみながら時間を潰すことにしました。

奈良国立博物館・新館の北側、氷室神社の東隣に「友明堂」という古美術店があります。
このお店は、喫茶もされていて、美味しい自家製のお菓子とお抹茶をいただくことができます。
奈良に行くと必ずと言っていいほど寄せていただくお店です。
店内に入ると骨董の器に囲まれながら、まずはお煎茶と干菓子が、そしてほどなくお薄と自家製のお菓子が運ばれてきます。
今回のお菓子は柚の香りのする水羊羹でした。

お茶をいただき、あれこれと器をみて、時々店内から正倉院展の入り口を伺います。

こんなふうに、店内から新館の入り口がみえるんですよ。




首長の須恵器、自然釉がきれいにかかっています。
面白い景色でしょう?

ついつい長居、ほうじ茶とお干菓子をだしていただいたりして。
さあ、そろそろよさそうです。
ご店主に、「いってきます」と声をかけて、道を横切り、新館へと向かいました。

途中、鹿が水浴びしています。
5頭ほどもいたでしょうか、ねぐらに帰る前に身体をきれいにしていたのかな?




何を考えているんでしょうねぇ。

さて、いよいよ、来たか!と、短くなった列の最後尾について、ぞろぞろと入りました。
時刻は4時半。

今回も、「新・日曜美術館」で予習をすませ、楽しみにしていた「お目当て」がいくつかありました。
まずはその一つ、
「花鳥背八角鏡」です。
1230年、盗難事件によって割れ、鎹で修理が施されています。
二羽の鳥が向き合い、それぞれのクチバシに鼻を咥えています。
首には玉の首飾り、尾にも鳳凰のような飾りバネがみえます。
これまでみた事のある時代物の鏡の中で一番きれいだと思いました。

臈纈の屏風3点
ろうけつ染めの屏風に仕立てられる布です。
そのろうけつ染めに使われる、臈蜜も展示されていました。
臈蜜は、ろうけつ染めの原料としてのほか、薬や化粧品としても使われていたそうです。

花氈 フェルトの敷物です。
これ、きれいでした。
ペルシャのじゅうたんのデザインはこう言うものに影響を受けて作られたのかな、と思いました。




こういう敷物を敷いて、文机をおき、ろうけつの布を貼った屏風を飾って、当時の貴族は生活を楽しんでいたのかな、と想像するとうっとりします。

墨絵弾弓です。
それはそれは丁寧に、細かい絵が描かれています。
楽器を奏でる人や、曲芸のようなものを披露している人、
当時のサーカスのような催しでしょうか。




肉眼では細かいところまで見ることは難しく、実物と、アップの写真を交互に見て、ため息をつくばかりです。

青斑石硯

斑入りの石に、須恵器でできた硯をはめ込んでありました。
まわりの台座の木画の細工が、それはもう細かくて、いったいどんな人がこんなものを細工したのかしら、と思わずにいられませんでした。

正倉院展にくるといつも思うことですが、昔の人々はこんなにもすばらしい手業を持っていたのだな、と呆然としてしまいます。
人間は、便利さと引換えに、何を捨て、何を失ってきたのでしょう。

金銀平脱皮箱




名前の通り、皮に漆をかけ、そこに金と銀とで装飾を施した箱です。
銀の部分は変色をしていましたが、デザインがとにかく美しい。
側面の尾長鳥が優雅さをかもし出し、中央の鳳凰が風格を表しているようでした。
何をいれるために使われていたんでしょう。
金・銀ともに、細かい細かい細工で葉の葉脈一つ一つ、鳳凰の翼の羽毛の一つまで線描されています。

紫檀木画箱




画像がよれてしまってますが、本物は立派な方形の箱です。
モザイクだそうです。
柘植の板材に紫檀を貼り内側には白檀が貼られているとか。
きっと、えもいわれぬ香しい香りがしていた箱なんでしょう。
香木がふんだんに使われて、象牙などでモザイク細工がほどこされているんです。
面取りされていることで上品さ、優美さがましているようです。
飛んでいる鳥、想像する何倍も小さいです。
本物を見て、展示されてるアップに撮影された写真を見ると
(ええっ!?)と思ってまた実物をのぞき込んでしまいますよ。

他にも美しいものがたくさん。
また、当時の書類(戸籍にあたると思われるものや、税帳のようなもの、食べ物を配給する時の台帳など)も、当時の生活が活き活きと書き出されていて、興味深く見ることができました。

ため息と思わず漏れる感嘆の声とで見学していると、閉館のアナウンスがかかりました。

すっかり堪能して、外へ出ると秋の日はとっぷりと暮れていました。

心の中に、ぼぅ、っと灯がともったような興奮を胸に、駅へと坂道を下っていきました。



この記事のURL | 出来事 | CM(4) | TB(0) | ▲ top
奈良行 シャガールそして
2007/11/09(Fri)
近鉄・奈良駅の改札を出ると、『正倉院はこちらの出口』って案内が、壁にべたべた貼られていて、訪れる人の多さを物語っていました。

なんだか年々来場者が増えてるみたい。
それだけ世の中が精神的に豊かになってきているのか、
それとも、団塊の世代の方々が、リタイアし余暇を楽しむ時間の余裕ができたからなのか、
いずれにしても、正倉院展は夕方狙い、ということで
まずはシャガール展を見るために奈良県立美術館へ向かいました。

近鉄の駅から県立美術館までのわずかな道のり、
登大路は各地からの観光バスと他府県ナンバーの車が数珠繋ぎ
これじゃあ駐車場につくまでにどれくらいの時間がかかることやら、とよけいなお世話の
心配しながらテクテクと歩いて10分足らず。

県立美術館の入り口の掲示板には正倉院展のポスターが張ってありました。が、
こちらは予想通り、待ち時間なくすんなり入場。

文字通り、シャガールの作品のみで構成された展覧会。

シャガールが、まだあの幻想的な画風を見つけ出す前の作品から展示は始まっています。
印象派っぽい作品が数点続き、キュビズムも。
ピカソか、と見まごうような作品もありました。
ふーん、シャガールもこんな絵を画いていた時期があったんだ、と思いつつ、先へと進んでいきます。
考えてみると、このところ、お寺などの障壁画や、展覧会にしても、仏画や近世日本画など、「和物」にふれることが多かったせいか、シャガールの絵の色彩がなんだかすごく新鮮に思えました。

洋画をみつづけていると、日本画のしっとりした美しさや、モノトーンのわびさびの世界観がすばらしく感じられるように、それぞれの世界に、それぞれのすばらしさがある、ということを、今更ながら痛感しながら、シャガールの作品は徐々に、彼独自のあの幻想の世界へと移って行きます。




「春」というタイトルの作品です。
妻のベラとの関係を描いた作品のほとんどはベラは花嫁衣裳を着ているみたいです。




こちらは「婚約者」
ブーケを手渡す新郎を穏やかな笑をたたえながら受け入れる新婦
背景には裸婦を描いている画家や花かごをもって祝うような人や町並み
そして、月、 あたりを照らし、二人の間には天使のような羽もみえます。

シャガールの作品は、ブルー・赤・黄色が印象的で、すばらしく美しい発色なんですが、
気がつけば私が買い求めたポストカードはすべてが全体のトーンをブルーで描いたものでした。

こちらは「音楽家」




どの作品にも必ずといっていいほど描かれている、鳥やろば、ヤギは祝福と幸せの象徴なのでしょうか、
バイオリンを弾く男性は愛に満たされているようです。

ユダヤ人でありながら、彼の作品にはキリストや聖母子を描いたものも多いことも興味深い点でした。

久しぶりに西洋の色に触れた、
見終った後、一番心に残った印象でした。
洋の東西にかかわらず、美しいものはやはり素敵です。

さて、県立美術館を出て、お昼ご飯を食べるために奈良まちの方へ、ぶらぶらと歩いていきました。
途中、猿沢の池のそばの采女(うなめ)神社へ。
この神社に奉られている采女には悲しい伝説が

普通は鳥居に対して南に向かう社殿が西を向いている変わった建て方になっています。
采女は天皇の心変わりを恨んで猿沢の池に身を投げたそうですが、彼女の霊は、入水した池を見るのが辛くて、自分を祀る社殿を反転させて池を見られなくした、ということが案内板にかかれていました。
その、采女神社からみる猿沢の池です。




土産物屋が並ぶ道を下っていくと、奈良町。
TVなどですっかり有名なおもち屋さんがあります。
そう、あの、ものすごい勢いでおもちをつくお店です。

実はこのお店のお餅をつくところを見るのは初めてで、かなりどきどきしながら店の前に並びました。
ちょうど、臼にお餅が入れられたところです。




(いよいよだっ!)
ドキドキ見守っていると始りました。




かけ声をかけながら二人が杵を振り下ろします。
でも・・・・・・ 予想してたほど早くない・・・・・・
(あれえ???)
目にも留まらぬ速さを想像してた私はちょっとガックリ。
と、見てるうちにお餅をつくのは終わっちゃって・・・・・・
あ~ぁ、なんだぁ と思ったその時、
一人が少し小さめの杵を持ってきて、もう一人の人が手水をつけて
きゃぁ これだぁ!
早い!早いぞ!
そりゃあもうすごい速さでぺったんぺったん。
慌ててカメラを構えたら


終わっちゃいました。

お餅つきを見学(?)してわかったことは、
もち米を蒸らした状態からつき始めるわけではなくて、どうやらある程度までは機械でついているらしい事。
臼にうつして最後の仕上げをするためと、パフォーマンスとして杵でついていること、
そして、その後、つかれた餅は機械に入れられて、中にあんこが入って、一箇分ずつ出てきたところを人の手で丸めきな粉にまぶして店頭に並ぶ、ということでした。

つき上がったお餅を買うための列に、私もさっそく並んで、その場で頬張ってみました。

やっ!やわらかーーーい!
まさに、とろっとろです。
なんて柔らかいんでしょう。
もう、機械でつこうが、なんだろうがかまいません。
美味しかったです。
だた、気をつけないと口のまわりと洋服の胸元がきな粉だらけになります。

昼食をすませ、お餅も食べて、満腹 満腹。

次は秘仏を特別公開している興福寺へ。

興福寺は奈良に来るたび何度か訪れていますが、今回の目的は国宝の乾漆八部衆像の一挙公開と、大圓堂の聖観音菩薩像です。




きれいに撮れなかったんですけど、この看板、かっこよかったです。




いいお天気に恵まれて、東金堂や五重塔もきれい。

こちらは南円堂
まだ拝見した事がありませんが、今回も公開はされていません。




南からの光に照らされて、朱の色が鮮やかでした。

国宝館に入りました。
正倉院展とあわせてか、観光バスで次々とやってくる人たちで身動きすらままならない状態の混みようです。




おなじみ、阿修羅
常時、こちらにいらっしゃるのでいつでも会うことができます。
他の7人の神様方とは、一斉にお目にかかるのは初めて。

迦楼羅のとんがった口を見て、
(阿修羅、あんたはいいよ、いつでもここにいてみんなの人気者で。 おれたちだっていつもここにいたいのにさ)とか言ってたりするのかなぁ、と、想像する私。

五部浄さんは、胸から下が残っていなくて、頭上にいただく象も、今は鼻の形から想像するしかありませんが、その表情はしっかと正面を見据えて、厳しく凛としたものでした。
押し合いへし合いになりながらも八部衆を拝見。
そのあと、私がこの国宝館の中でも大好きな場所へ。




邪鬼です。
かわいいでしょう?
二人とも精一杯ふんばって、阿吽の形をしているんです。
何度見てもこの二人の前に立つと知らず知らずにやにや笑ってしまいそうになります。

一通り館内をまわって、大圓堂へ。

こちらもお堂の入り口から列ができています。

堂内はお庭に歩道を作り、順序にしたがって通路を行き、ご本尊の聖観音の前まで進む形にしきられていました。
お目当ての観音様は少し距離があるのとお堂のなかにいらっしゃるのをお庭から拝見するということで、細かいところまではよく見る事ができませんでした。
残念ですが、お写真で細かいところを見せていただくしかありません。
 



優美で気品に満ちた観音様です。
凛とした表情、繊細で美しい衣や飾りもの、豪華な宝冠や光背です。

観音様を拝見した後、そろそろどうだ?と、奈良国立博物館へ。

ありゃりゃ

ものすごい列。
L字に折れて曲がって、また折れて。
こりゃまだまだだめだわ。

と、いうことで、もうしばらく時間を潰す事にしました。

正倉院展までの道のりは遠い(笑)
続きはまた明日。
この記事のURL | 出来事 | CM(8) | TB(0) | ▲ top
通勤のお供
2007/11/05(Mon)
無料なのに、案外つかえる、
フリーペーパー(もしくはマガジン)が好き。

私は、通勤のためにほぼ毎日、JRを利用しています。

ずっと以前からそうですけど、駅のスタンドに置いてある、チラシや冊子、新聞など、色々と工夫が凝らされていて、結構読み応えがあったり、役に立ってくれることが多いので、
手持ちの本がない時は車内でフリーペーパーを読んでいることが多いのです。

そんなわけで、時々、チラシスタンドをチェックして、目新しいものが置かれているとしっかりいただいてきます。

展覧会のチラシはもちろんのこと、各地方のお寺などの特別公開の情報や、地域限定のお得なチケットなどの情報も、ここからGETすることがかなり多いのです。





JR西日本が発行している「旅こよみ」です。

月に一度のペースで発行、ほぼ毎月入手しています。
毎回30ページほどもあって、電車の中での読み物としても面白い。

今月の特集は、小説の舞台になった場所をめぐる、というもので、
巻頭は「京都」
それに、大阪と、芦屋がピックアップされています。
他にも、関西エリアでのイベントカレンダーも載っていて、うっかりチェックが漏れてしまうところだった情報を、この冊子ですくい上げたこともなんどか。

フジTV、朝のワイドショー「めざましテレビ」のフリーマガジン。




番組内で紹介されているのをみながら、いつも
「配布場所、東京だっかりやん・・・・・・」とぶつくさ言っていたら、

なんと! 勤務先の最寄り駅に置いてありました、関西版。
今回が初めてのGETです。
(ちょっと嬉しかった)

いっとき、ユニークなCMで評判だったリクルートが発行しているホットペッパーも、
発行当日にはスタンドから無くなる人気の冊子です。
が、私は時々読んでは見るけど、まだホントの意味での利用はした事がありません。

このごろ、チラシスタンドで一番【はば】をきかせているのは、やはり紅葉特集


見てるだけでもきれいで、今年はどこの紅葉を見に行こうかと心が浮き立ちます。

今年は紅葉が遅い、と気象予報では言っているようですけれど、
今日の雨で、また一足、木々の彩りが深まっていくでしょうか。


この記事のURL | ひとりごと | CM(0) | TB(0) | ▲ top
楽美術館と小川通り界隈
2007/11/04(Sun)
ふと気が向いて、午後からぶらぶら楽美術館へ歩いていきました。

「楽家」の前にある石碑です。




こちらはご自宅。
のれんには「御ちゃわんや」とあります。
 



この中で、楽家代々のご当主は土を練り、手拈りで茶碗の型をつくり、削りだし、釉薬をかけ、窯で焼く、という作業を綿々と続けてこられたのですね。
その技は、一子相伝といえども、父から息子へ具体的に手取り足取りして教えられるわけではなく、それぞれが技を工夫して磨いていく、というふうだそうです。
つまり、心を相伝していらっしゃる、ということでしょうか。

楽の土は、京都近郊のあちこちから掘り出されてくるそうですが、代々の当主が作った土は、2代ほどのちになって初めてお茶碗になるそうです。
その間、土は寝かされ、時を待っているというわけです。
自分のご先祖が掘り出してきた土をつかい、茶碗をつくる、
楽の家ならではの、遺産の相続ですね。




楽美術館の玄関です。
ここは、こじんまりとした美術館ですが、いつきても香が焚きしめられ、季節の花がさり気なく飾られ、気持ちが穏やかになる、静かな場所です。

初代・長次郎を始めとして、歴代の当主のお茶碗が展示されていました。
時々展示の入れ換えがあるので、これまで拝見したことのない器をいくつか見ることができました。

館内には、数人のお客さんがいらして、京都国立博物館での永徳を見ての帰りか、図録を持った方が幾人かいらっしゃいました。

ゆっくりとお茶碗や棗、香合などを拝見して外にでました。

小川通りにはまだまだ「京都らしさ」が残っています。




本阿弥光悦の屋敷跡です。

安土桃山・江戸時代初期に活躍した芸術家で、近衛信尹、松花堂昭乗と共に寛永の三筆の一人と言われています

京都の三長者(後藤、茶屋、角倉)に肩する富豪で、代々刀剣の鑑定、磨き、浄拭を家職とした本阿弥家に生まれました。

洛北鷹が峰に〈皆法華〉の芸術家村を築いて、題目三昧と創作、雅遊の晩年を送ったわけですが、ここは京の屋敷跡です。
昔は、鞍馬口から北は京都じゃなかったんですねぇ。




案内板には光悦さんの説明がかかれています。

少し歩くと、塀沿いにからたちの木。
実がなっています。




いくつか、地面に落ちていました。
柑橘系の匂いもとくにはせず、実の表面の手ざわりはビロードのようです。
からたちの実は、硬く、種が多くて甘くもなく、食用にはならないそうで、
焼酎につけて果実酒にするくらいしか使いみちがないそうです・・・・・・
だから、だれも拾うこともなく、ころころと落ちてるんです。




少し行くとこんなお店も。
風情がありますね、金糸のお店みたいです。
金箔なども、きっと扱っていらっしゃるのでしょう。
このあたりは西陣なので、帯やさんや織物やさんが今でもまだまだたくさんあります。

小川通りからははずれますが、ちょっと面白いのでこちらもご紹介します。




水道工事やさんのウィンドゥです。
面白いでしょ(笑)
今時は、蛇口もこんなのはあまり見ませんよね、
ハンドルも、おしゃれで便利なタイプがたくさん出ています。

この、水道屋さんに限らず、昔ながらの小さな個人商店や、会社が、いつまでも商売を続けていける、
京都はいつまでもそんな町であって欲しい、

と、いいつつ、やはり便利にはしってしまうんですけどね。

むつかしいですね。
この記事のURL | ぐるり京都 | CM(6) | TB(0) | ▲ top
| メイン |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。