うっ うそっ!
2008/01/31(Thu)
年が明けた頃から、気付くとなぜか仕事が半端じゃなく忙しくて、
連日残業をして、それでも積み残しが出る日々が続いています。

1週間ほど前から、自分の抱えてる仕事の量が、どうやらキャパシティを超えてしまっていたらしく、肩や背中がばりばりで、鎮痛剤を飲んでもちっとも治まってくれない頭痛を抱えていました。

火曜日の夜中、あまりのつらさに眠れず、とうとう病院にいくことにしました。
私は科にかかわらず、基本的に病院がこわくて、
できればいかずにすまそうと、いつもぐずぐず、受診を遅らせることが多いんです。

でも、今回は本当に我慢の限度を超えてしまいました。

ネットで肩こりと傷みの緩和を主として診療している医院を探しました。

自宅からさほど遠くないペインクリニックのHPを見つけ、
タクシーででかけました。

原因は肩こり、
自分でわかっているんです。
で、「肩がパンパンにはって、気持ち悪くて、頭痛が1週間ほど前から・・・」と症状を話しました。

触診をして、血圧を計って(上が169でした・苦笑)、も一度計って(同じでした)

ふと見ると、大きな注射器に薬がちゅーーーっと吸い上げられています。

!!!

ま、まさか!

「とりあえず筋肉の緊張をほぐす注射を打ちましょう」

の言葉と同時に、看護士さんに首を傾げた形で固定され、

ブチッ  の音が耳の下でしたと思ったら
しゅるしゅる・・・ っと液体が耳の後ろあたりに入って行く音

あぁ、なんかくらくらしてしまいそう。

注射針は次々と首のつけ根から腰に向かって打たれて行きます。
左右全部で10ヶ所

もう、あまりに突然のことでなすすべもなくされるがママのわたくし。

その後、念のため市民検診しときましょう、

といわれて、血液検査、心電図、など、次々と検査をこなしているうちに
さっきの注射の効果(?)か、首筋が熱い感じがし始めました。

午後から頚椎の専門の先生の診察があるから、と予約を取ってもらい、
いったん帰宅。

身体がつらいところへ、怖い怖い注射をしたせいで
ショックでふらふらしている私は何ものどを通らず、
夕方、予約の近づいたので再度クリニックへ出かけました。

レントゲンを10枚ほども撮ったでしょうか。

診察を受けると、
首も背骨も肩も、骨はすごくきれいで、なんも問題もない、らしく、

(だから!肩こりなんだって・・・)と心の中でつぶやきながらもほっと一安心。

鎮痛剤と湿布薬をいただいて帰りました。

一日たって、今日は一昨日までのつらさからはかなり開放された感じ。

ひどい肩こりは、直接幹部に注射をする、という事はネットで読んだりしてたけど
まさか自分がそうなるなんて。
クリニックに出かけた時には、筋肉をほぐす飲み薬でももらおう、くらいの気持ちだったんですけど。

まぁ、症状が緩和してるのでいいんですけど。

でも、3月末ごろまでは今の忙しさは続きそうな気配だし、
またいつぶりかえすやら。

肩こり知らずの人がつくづく羨ましいです。
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中国茶
2008/01/28(Mon)
連れ合いには仕事上でお付き合いのある中国の方が数人います。

中国から留学して来ている人、
留学が終わって、中国に帰られた方、 そのまま日本に暮らしてこちらでお仕事をされている方。

様々ですが、その方たちが中国と日本を行き来される時、お土産に中国茶を持ってきて下さいます。

以前は、お酒や中国の工芸品を色々といただいたりもしたのですが、最近では連れ合いの「中国茶好き」が浸透しているのか、お土産といえば中国茶、といった具合です。




これらはそのいくつかです。
毎日美味しくいただいているのですが、消費するよりも早く、次々と頂きものが重なって、
今日はどのお茶にしようか、あれこれ迷うのも楽しみの一つです。

中国茶には主に6つの種類のお茶(六大茶)と花をお茶にした花茶、それに色々と取り混ぜて香りや味とともに見た目も楽しい、茶外茶といわれるのもがあります。

花茶で一番一般的なのは、ジャスミン茶でしょうか。
あの、爽やかな香りと口の中がすぅーーっとする、清涼感が大好きで、子供のころ、中国料理のお店で始めて飲んだ時はおかわりばかりしてました。

茶外茶、というのは、甜茶(ほんのり甘いお茶ですが、所謂、お茶の木から取るのではないので茶外茶、との認識のようです)や、菊茶(これはそのまんま、菊の花のお茶です)、洋菊茶(マリーゴールドのような花を乾燥させたもので、私はこのお茶の香りがちょっと苦手)、それに八宝茶などがあるようです。




ご覧になったこと、あるでしょう?
花や、木の皮のようなものや種や茶葉がブレンドしてあって、飲みやすいように氷砂糖のかけらも入っています。
見てみるとナツメを乾燥させたものが入っているようです。
あとは、なにやら漢方薬のようなものや、キノコのようなものなど、見た目がにぎやかで
楽しいですね。

六大茶というのは、
その茶葉の色と醗酵の具合から、それぞれ、
緑茶・白茶・黄茶・青茶・紅茶・黒茶 というもので
もうすっかり日本に定着した烏龍茶は青茶、
プ−アール茶は黒茶です。

どのお茶もそれぞれ香りや味に特徴があって、甲乙つけがたいですが、
やさしく上品な香りの白茶が一番好き、といえば好き、でしょうか。

大きな箱に入っているのは




こんな塊のお茶です。
小さな刀のような道具がついてて、それで削ぎ取るように剥がします。
きつく固められているので見た目よりのずっとたくさんの茶葉で、長く楽しめます。

おいしい和菓子がある時はお抹茶、
ケーキのときには紅茶、
お茶漬けには日本茶、
毎日の食事の時には中国茶を、楽しんでいます。
中国茶でダイエット、・・・・・・ は私の場合、効果のほどがなかなか現れてこないようですが(笑)

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悠久の時を超えて
2008/01/22(Tue)
中国

南宋から元が統治していた時代、と言えば13世紀でしょうか。

一昨日、わが家に仲間入りしてきたこの碗はその頃の作ではないか、とは
中国骨董専門の東京の古美術やさんのお話しです。




大きさは小服茶碗くらい、
酒器として使ってもよさそうです。

黒釉の上薬がかかった上に、黄土色の釉薬がかかっています。
見込みには草文のような柄が描かれ、素朴な味わいが気に入っています。

実際にはいつ頃のものか、ということを鑑定するのは難しいでしょうけれど、
古美術やさんの見るところがあたっているとすれば700年以上前のものということになります。

土の中にでもあったのでしょうか、
ほとんど無傷で、今、わが家にいることがほんとに不思議。
長い長い時間、この茶碗は何を見、どんな風に過ごしてきたんでしょう。

先日、図書館で偶然手にとった本。
思いの外、興味深くて一気に読んでしまいました。
(明け方までおきて寝不足のまま出勤する、というおまけつきでしたけど・笑)

元 NHKのディレクターをされていた、瀬地山澪子さんという方の著作、

      「利休  茶室の謎」  創元社

という本です。

今回、わが家にやってきたのは中国陶器ですが、
この本には日本の茶道の道筋を付けた 千利休 と 朝鮮との関りについての著者の考察がかかれています。

面白い本でしたので、機会があればぜひ、てにとってみてください。
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船場吉兆 再生法申請に思うこと
2008/01/16(Wed)
今日のニュースで、船場吉兆が大阪地裁に民事再生法の適用を申し立て、財産の保全命令を受けた事が大きく取り上げられていました。

あの、記者会見ですっかり有名になった創業者の湯木貞一さんの三女・佐知子氏が新社長の座につくという。

この事件、氏の父親、湯木貞一さんが生きていたならどんな処理をなさっただろうか。

湯木貞一さんと言えば、松花堂弁当を考案した人として、また茶人として、自らのコレクションで「湯木美術館」を作った人としてあまりにも有名な方。

今年3月からは 『茶碗を愉しむ』と題した春季展がこの美術館で開かれる。


民事再生法申請のニュースの中で、代理人の弁護士さんが、三女・佐知子氏が新社長に就任したことについて、

「批判は承知しているが、従業員の求心力になる。従来の流れがまったくわからない役員のみで再建するのも困難」

と話されていました。

弁護士さんが言う、この場合の「求心力」とはなんでしょうか?
180人いた従業員のうち110人は退職を申し出、残る70人も吉兆は全員解雇する予定と言います。


暮しの手帖社から出ている 湯木 貞一さんの『吉兆味ばなし 』の4冊は私が繰り返し読んだいくつかの本のなかでも好きなシリーズで、今も実家の部屋の本棚に静かに並んでいます。
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おめでとう
2008/01/14(Mon)
三連休の最後の日、京都・岡崎の細見美術館で開催中の「芦屋釜の名品」展を見にでかけました。




細見美術館は、小さいけれどいつも興味深く質の高い展覧会を企画されるのでしばしば出かけるところです。
今回は茶の湯で使われる釜を集めた展覧会。




チラシやチケットにもあるような霰を施した釜が多数展示されていました。
鉄で作られた物ですので、使っているうちに底が薄くなるのでしょう、あれこれと手を加え、修理を施して使われてきた名品の数々です。

芦屋釜
福岡県の遠賀郡にある芦屋町で作られてきた、茶の湯釜として最も古い歴史を持ち、文様表現を特徴としている物だそうで、重要文化財に指定されている9点の釜の内、8点までが芦屋釜なんだそうです。

会場に置いてある、来館者が感想を書くノートにはこの芦屋町から来ました、という男性三人の書き込みがあり、郷土のうんだ名品を見ることができて誇りに思う、といったようなことが書かれていました。

会場には釜のほか、茶の湯で使われる風炉や、お茶碗なども数点あり、千利休さんや松永耳庵さんが所蔵していたものも展示されていました。
また、北野天満宮での茶会の様子を描いた屏風も飾られ、昔の人々が茶の湯を楽しむ風情を垣間見ることができました。

展覧会の後、ぶらぶら歩いて寺町二条のスペイン料理のお店「アントニオ」で夕食。

ディナーのコースをお願いしました。

サングリアを飲んでいるとオーナーシェフのアントニオさんからオリーブのニンニク風味をサービスしていただきました。
スターターとして、ニンニクのスープと白アスパラガスのタルタルソース




メインディッシュは
鱈をニンニクと様々な香草で煮込んだ一皿と、子牛のトマトソース煮込み




子牛の柔らかいお肉にほくほくのジャガイモ、なんともいえず旨味のつまったトマトソースがボリューム満点。

パエリアはイカ墨




サフランを使って魚介類満載のものはうちでも時々作りますが、イカ墨のパエリアは初めて食べます。
こくがあって、アルデンテのお米が歯ごたえもよくこちらも美味しい一品でした。
いいかげんおなかいっぱいのところへ、デザート。
カスタードのブリュレと天使のプリン。

スペインではお誕生日にはこの天使のプリンにキャンドルをともしてお祝いするそうです。

もうこれ以上は無理です、というくらいお腹いっぱいになって帰路につきました。

間もなく日付が変わります。

1月15日は連れ合いの誕生日。
19歳の時、彼は
「日本中がおれの誕生日をお祝いしてる」と成人式の誕生日を自慢していました。

あれから○十年・・・・・・
ハッピーマンデーなんてつまらない、とお誕生日を迎えた連れ合いは申します。

なにはともあれ、

お誕生日おめでとう。
これからも、どうぞ健康で。

すばらしい人生をともに。


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夜遊び
2008/01/10(Thu)
昨夜は久しぶりに夜遊びしてしまい、地下鉄の終電に乗りそこね、タクシーで帰宅する羽目に陥ってしまいました。

勤め先の後輩に、三十路を過ぎたばかりの女性がいて、素直で明るい子なんですが、
自宅から会社までが徒歩5分、が災いしてか、なかなか男性とのご縁がなく、
「彼氏が欲しい」と言いながら、女友達とばかり遊ぶ生活をもう7年近く過ごしています。

そこへ、他部署の上司から、
「学生時代の後輩(37才)にだれかいい人いないだろうか」というお話し。
とっさに、(あっ、Kちゃん【彼氏いない歴7年の彼女】がいいかも!)とひらめいたのが昨年暮れの話。

新年会、という名目で二人を会わせました。

場所は、梅田(大阪です)、むこうは上司が付き添い、
こちらはKちゃんと私。

Kちゃんは数日前からすごく緊張していて、前日には美容院ヘ行き、当日は仕事が終わった後、いったん家に帰っておめかししてからやってきました。

待ち合わせたお店は、以前一度行った事がある、大人な雰囲気の、ヨーロッパ料理のお店。

席について、お互いの紹介をすませ、とりあえずワインで乾杯。
お相手の男性は、緊張しきっているのか、Kちゃんを見ることができず、なぜか私の方ばかり見て話しをしてこられます。

話すうち、お相手の男性の実家が、有名な美術館のすぐそば、ということがわかって、その美術館ネタで妙に話が盛り上がるも、Kちゃんは話についてこず、
お料理がすごく美味しくて、ワインがついつい進み、飲むほどに舌は滑らかになって饒舌になるのですが、どうもいまいち、二人の会話は盛り上がりません。
向こうの付き添いとしてやってきた上司のボルテージばかリ上がって行きます。

たまたまその場にいる全員の血液型がO型と分かると、
「このメンバーを『Oの会』と名づけて月に一度美味しいものを食べることにしよう」とか
「次は焼肉にしよう! おいしいタン塩の店、案内するから」とか
一見 盛り上がりをみせるものの、肝心の二人はどうもピンとこない雰囲気。

デザートの前に、Kちゃんと化粧室に立って、「どう?」と聞いてみると
やはり「全然私を見ないし、どうもこうも・・・・・・」と言いながら口紅をひきなおしていました。

その後、「もう一軒」とういう事になって、パブにいったものの、そこでもお相手はKちゃんを直視することなく、時間が過ぎて行くばかり。

その後、男性陣は二人でもう一軒行く事になり、女性組は大阪駅へと向かいました。

「お返事、どうする?」の問いに、
「嫌なところはなかったけど、話、繋がらないし、第一私をまともに見ないし。
 きっと、むこうは私を気に入らなかったんだと思います。
 もう一度会っても仕方ないかも・・・・・・」
というKちゃん。

ご縁がなかったかなぁ、とKちゃんと別れた電車の中へ、向こうの付き添い上司からのメール。
「Kちゃん、どう?」

どうもこうも、ろくにKちゃんのこと見ないし、話しかけもしないし、気に入られなかったんやと思う・・・ もう、次会うのしんどいかも。  って、言ってましたよ。

そう返信すると、
「あいつ、むちゃくちゃ緊張してたらしくて。 ふだんはあんな奴やないねんけど。 とにかくもう一回会わせてみよう」
との返信。

・・・・・・ う〜ん、 M次長、ほんとはあなたが飲んで食べたいだけじゃないの?

人と人の縁、って難しいなぁ

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上賀茂神社
2008/01/05(Sat)
初詣は今年も上賀茂神社へ伺いました。

自宅からぶらぶらと歩いていきます。




下鴨神社に比べると、初詣の参拝客はずっと少ないように思いますが、私は上賀茂神社の空気が好きです。




神馬(しんめ)ちゃんの前には人参を薄く切った小皿が置いてあって、お賽銭をおくと一皿、あげることができます。
馬も、人間と同じ、お正月はついつい食べ過ぎてしまいます。
この日の神馬ちゃんは少し御機嫌斜め。
目の前に人参が入ったお皿があるのに、参拝客は写真を撮るばかり・・・・・・





「二ノ鳥居」を入ると、細殿の前に一対の「立砂」

神武天皇の時代に加茂山に祭神が降臨した、その山の形を表したものだそうです。




本殿への入り口の鳥居に下げてあるしめ縄。

矢のような物が刺さっているのは、ここの御祭神、、加茂別雷大神は
丹塗矢に化身した大山咋神が川を流れて行き,それを拾ったタマヨリ姫と結ばれ、生まれたとする、神話によるものでしょうか。

神社を囲むようにしてこんもりと森が繁っていて、きれいな水が流れています。
メダカ、みえますか?



上賀茂神社の鳥居のすぐそばには、神官の方のお住まい、社家の集まる一画があります。
京都の中でもここは独特の雰囲気を持つ、町並みです。
その中の一軒。




この中でどんな生活をしていらっしゃるんでしょうねぇ。

この、社家の町並みの中に、すぐきのお漬け物で有名な「なりた」さんがあります。
のれんがかかっていなければ見過ごしてしまいそうな、立派なお宅がそのままお店です。




ここのすぐき、日がたっても味が変わらず、酸っぱすぎず、上品なお味で、ここのを食べたらすぐきはよそでは買えません。




風もなく、気持ちのいいお天気なので、帰りは加茂川沿いの道を選びました。




カモやゴイサギが気持ちよさそうです。




お正月用に、と玄関に飾った盛花。
カキツバタが咲きました。




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死と生
2008/01/04(Fri)



明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

大晦日から実家に戻っていました。
最近は、一年に数えるほどしか訪ねることのなくなった実家には両親とわんこが帰りをまってくれていました。

そこで、少し面白い話しを二つ、拾ってきました。

母のお稽古ごとでのお仲間が暮れに亡くなったそうで(新年早々ごめんなさい)、
その告別式での事。

セレモニーの司会をしていた人が亡くなったその方の年齢を間違って紹介したのだそうです。
73歳のその方のことを、83歳、と紹介され、母たち、お稽古ごとのお仲間はみな、少しざわざわし、式典が終わった後で、葬儀社の司会係りの人に、
「年齢、間違われてますよ。 ○○さんは73歳です」とみんなで言いに行ったそうです。
司会者は、あわてた様子で、遺族である、その方の娘さんに確かめに行かれたそう。

しばらくして、亡くなった方の娘さんが、母たちのところにご挨拶にこられ、

「母は、83才でした」とおっしゃったんだそうです。

そう、その方はお稽古事のお仲間には10歳若くさばをよんでいたんです。
お仲間みんなよりずっと年上なことに気が引けていたのか、それとも若くありたい、とねがっての事だったのか・・・・・・

「そうかて、若々しいし、身きれいにして、いっつもおしゃれにしてはったし、73ときいたら、あぁ、そうなんや、と納得いくような人やったんや」

そんなふうに母は言っていました。
「女って、いくつになっても年、言いたくないもんなんやなぁ」と、しみじみ話していました。
家族のだれもが気付かぬまま、夜中の突然死だったそうなので、ご本人も、亡くなった後、そんなふうに実年齢がわかってしまうなんて思いもかけない事だったんでしょう。

その話をしていた時、父がぽつりと話しだした事も、少しビックりな話しでした。

実家の父は、一昨年の四月、心筋梗塞の発作を起こし、一時は意識が混濁していました。
幸い、症状が落ち着き、手術をすることができたので、今はすっかり元気になって普通に生活もできているのですが。

父の話というのはこうでした−

発作を起こして入院したその夜、
混濁した意識の中、ふと気がつくと父はどこか広い草原のようなところに立っていたそうです。
見ると、少しむこうにゆるやかな川の流れがあり、その川の向こうには今まで見たこともないような、それは美しい花が一面に咲き乱れ、なんとも言えず気持ちがいいところだったそうです。
これまで経験したことのないような、心穏やかで、爽やかで、胸がす----っとして、幸せな気持ちでいると、むこうの方から何やらやってくるのがみえてきて、
じっと見つめていると、大勢の人たちが、ゆらゆらと手を揺らしながら、ぐるぐる幾重もの輪になって踊るように滑るように近づいてくるのだそうです。
父の言うには、まるで「おわら 風の盆」のようだった、と。

父は、その中に自分も入りたくて、ゆっくり近づいていったんだそうです。

その時、遠く離れた後方で、その自分を見ている、もう一人の自分がいて、
もう一人の自分は「そこにいったらあかん! 戻ってこい!」と、二度、大きな声で叫んだんだそうで、
その叫び声を聞いて、驚いてふと気がつくと、目の前に母や私の顔が見えた、
そう言っていました。

その時から一年八ヶ月、
もともと、死後の世界とか、霊とかを全く信じていず、ふだんから「そんなことあるわけない」と言っていた父は、
こんな話をしてもだれにも信じてもらえないだろう、という気持ちと、
夢を見ていたのかも知れない、という気持ちとで、
このことは今まで母にも話していなかった、と言っていました。

なんだかよく聞く、臨死体験をした人の話と非常ににているので、そんな話を父から聞いても、
(ふ〜ん・・・よく聞く話しだし、前々からそういうことを聞いてたから自分でもそんな夢を見たんじゃないのかなぁ・・・)と、父には申し訳ないですけど、半分は夢を見ただけ、と思ったんです。

この話をしてくれたあと、父は言いました。

「私はあの体験をしてから、『死ぬ』という事へのイメージが変わった。
 死ぬということは、苦しく、辛く、悲しく、さみしいもんだと思っていたけれど、そうじゃない。
 死ぬ、ということは、様々なしがらみから解き放たれて、ほんとうに爽やかで安らかな気持ちになれる、美しく穏やかで幸せなところへ導かれることなんや、と思えるようになった」

それを聞いて、私は、父の語る、臨死体験が夢だったか、本当に死の世界へ足を踏み入れようとして戻ってきたのか、ということは関係なく、
何となく、父はいい経験をしたなぁ、と嬉しくなりました。

心筋梗塞を起こしたときはほんとに心配したし、今でも身体には気をつけてほしい、と心から願っているけれど、
「死」という事に対して、父がそういう気持ちを持っていることを聞かせてもらって、ホントによかった、と思いました。

今後、もし何かが両親の身に起きても、
「大丈夫、わたしたちは幸せな世界にいくんやから悲しまんでいいよ」と、両親が言ってくれるような気がしたからです。

父は、母のお稽古仲間の方の突然の死が話題になった機会に、
一人っ子である私に、
「大丈夫やで」ということを教えておきたい、と思ってそんな話をしてくれたのかも知れないなぁ、と、今考えています。

お正月には相応しくない話題かも知れませんが、私にとってはなにかとても大事な話しをしてもらったような気がしています。





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