久しぶりの出張で、神奈川・東京へと出かけていました。
会議と、その前夜の懇親会に出席するためでした。
午後からゆっくり出かけても夜の懇親会には十分間に合ったのですが
朝早くに京都を出て、静嘉堂文庫美術館に行くことにしました。
のぞみを新横浜で降りて横浜地下鉄に乗り換え、あざみ野で東急田園都市線に乗り換えて二子玉川へ。
駅前のロータリーで赤くて小さな巡回バスにのって静嘉堂文庫まで。
京都のバスは後ろ乗り前降りで、料金は下車するときに支払います。
ここのバスは前乗り前降りで、料金は乗るときに支払うんですね。
よその町に行くとバスってなんだか緊張します。
電車はそうでもないんですけど、バスって(ここのシステムは???)って、周りの人の様子を見ながら小銭をあわてて用意したりしてどきどきするのは私だけなんでしょうか?
雨と風がひどい関東でしたが、満員でぎゅーぎゅーのバスはほとんどの乗客を美術館前ではきだしほとんど空になって次の停留所へと走り去っていきました。
バス停から坂道を、美術館目指してあがります。
小高い山 世田谷にもまだこんな自然が残っていることにちょっと驚きながら入り口に。
傘たてにはもう空きもなく、入場券売り場には列ができています。
「茶碗の美」 国宝 曜変天目と名物茶碗 展は3月23日まで
いつもながら滑り込みの鑑賞です。

稲葉天目と呼ばれている南宋時代のお茶碗が公開されています。
会場中央に飾られたこのお茶碗の周りには人だかりができていました。
その人だかりに隙間ができるのを待ってガラスケースに張り付きます。
きれい
なんとも表現力が乏しいことが悔しいのですけれど、
宇宙の闇の中に光を見るような、深い空間がそこにあるようでした。
思えば、私が初めてこのお茶碗に出会ったのはまだ小学生の頃、
NHKで天目茶碗を特集した番組を偶然見たのです。
それまで見たこともない美しい世界がそこにありました。
曜変天目や油滴天目はテレビのブラウン管の中できらきらと輝き、漆黒の闇の中に永遠のときを閉じ込めたように見えました。
こんなにすごいものが世の中にあるんだ・・・・・・
その茶碗が今、自分の目の前にある、
なんとも不思議な感覚でした。
稲葉天目のほかにも油滴天目や井戸茶碗、楽茶碗など80点あまりの作品が展示されていて
予想以上の館内の混雑振りにもかかわらずしっかり堪能できたすばらしい内容でした。
翌日は朝から本社で会議。
午後4時前に会議が終わるのを待って上野の国立西洋美術館へビーナス展を見に行きました。
前日に続いて雨交じりの風が吹く中、それでも上野公園の桜はほころび始めています。
桜は京都より東京が早いみたい。
国立西洋美術館の前庭にはロダンの作品がいくつも展示されています。

カレーの市民

こちらは地獄の門の考える人の部分
昨日訪れた静嘉堂文庫より空いているみたい。
とりあえずロッカーを確保して会場内へ

日本では初お目見えのティツィアーノの「ウルビーノのビーナス」を中心とした、ルネサンス期のビーナスがゆったりと配置され、ゆっくりと見て回ることができました。
ロレンツォ・ディ・クレーディの描いたヴィーナスの立ち姿。
穏やかな顔と肉付きのいい下腹部、乳房 左足を少し前に出したその肉体は、まるで男性のように筋肉がしっかりと描かれ「ヴィーナス」という私の中の固定観念からは少し違和感があります。
ポントルモの描いたヴィーナスにいたっては乳房のふくらみ意外は男性そのものの体つきをしています。
そもそもヴィーナスは古代神話の中に登場する愛と美の女神。
キリスト教の神ではない、ということでルネサンス期までは絵画の題材としてとりあげられることも少なかったようです。
美術史の中でヴィーナスの描かれ方がどのように変遷して行ったのか、
その変化の様子を展覧会は部屋を追うごとに見せてくれました。
意外にも「ウルビーノのヴィーナス」のまえにはぽっかりと空間ができていて、まるで私のためにゆっくりと見る機会を与えてくれているかのよう。
評判通り、どの角度から見てもヴィーナスと目が合うかどうか確かめることもできたし、近づいたり離れたりしながら、細部を確認したり全体の雰囲気を味わったり、が存分にできました。
出品が30作品をきる点数でしたので気持ちの上でもゆっくり見ることができたように思います。
最後の展示作品
ラファエロ・ヴァンニの「キューピッドを鎮める「賢明」

やや女性好みの絵かもしれませんが、私はこの作品がすごく好きになりました。
ビロードのような布に隠された絵を見ようとしているキューピッドをやさしくとめるヴィーナス。
ほんの少し見える画面には高貴な女性が描かれているようです。
全体のやさしいタッチ。
ブルーの効果的な使い方。
会場を後にする最後に見るにふさわしい印象を持っているように感じました。