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今年の誕生日は「京洛肉料理 いっしん」で
2008/12/27(Sat)

明け方、えらく冷え込むなぁ、と思いながらお布団に包まっていました。
起きだしてみるとこの冬初めての雪が降っていました。
最近の天気予報の精度の高さには驚かされます。

ニュースでは北海道の大雪の様子が放送されていました。

私は12月の生まれ、けれどあまりに寒いのはちょっと苦手。
でも、雪は別です。
雪が降るとうれしくなってしまって、お出かけしたくなるのです。

毎年、お誕生日には連れ合いが美味しいものを食べに誘ってくれます。
肉好きの私のために(自他共に認める立派な『肉おんな』です)、今年連れて行ってくれたのは祇園にある肉会席の「いっしん

お昼と夜、どちらもおまかせのコース、ひとつしかやってないお店です。
ネットでの評判では「主人が無愛想でこわい」とか書かれていますが、肉おんなの私のアンテナは(大丈夫、そんなことはない、ここはきっとおいしい!)と予感していました。

gion yorunomomiji

出かけた頃にはまだ紅葉の名残がありました。
この紅葉は祇園、辰巳神社のそばで、夜には綺麗にライトアップされてました。
お昼間、甘いもんをいただきに来るものいいけれど、やっぱり祇園は夜の町、なんともいえず艶っぽい香りのする町です。

gion yorunomiti

お茶屋さんなどが並ぶ中、あまり目立たず「いっしん」の暖簾。



引き戸を開けて入ったタタキには焼しめの花入れに南天。

siiinn utigennkann  
ここは場所柄、芸妓さんや舞妓さんがお客さんに連れられてやってくることも多いそう。
この日もお店に入る前にお仕事へ出かける舞妓さんがはんなりと、けれど颯爽と歩いていくのに出くわしました。
あっ、と思うまもなく歩き去る後姿、だらりの帯が綺麗に揺れていました。

さて、肝心のお店、
店内はカウンター、9席、その奥に小さなお座敷が2つほど。
けれど、こういうお店はなんといってもカウンターに座らなくちゃ。
ご主人の料理する様子を、のぞきこむのも楽しみの一つです。

写真を撮るのはちょっとためらわれたのでこちらの画像でご紹介しますが、
ミスジ肉の和え物から始まって、ローストビーフ、ミノのドレッシング和え、タンの椀物、テールスープ、ミスジを細く切った刺身、かぶらシンジョ肉包み、たたき、肉のカルパッチョ、
握り・海苔巻き・づけ・肉のお鮨三種、ステーキあわ醤油添え、タン入りのお茶漬け、
(他にもいくつか出てきたんですけど名前を忘れちゃいました・汗)、
デザートには、ブリュレと柿のシャーベット、果物のプレート。
ブリュレは抹茶味とお汁粉味があって、二人連れのお客さんには必ず一人は抹茶、もう一人にはお汁粉味、と出されて、仲良く半分こして両方の味を楽しめる配慮がされていました。
お肉料理を堪能した後の柿のシャーベットもあっさりした中に上品な甘みがあってとっても美味しかったです。
その後、紅茶かコーヒーが出るのですけれど、コーヒーには和三盆の干菓子が添えられていて、「お菓子を口に含んで飲んでください」とのこと。

ネットのコメントなどで、「無愛想」「怖い」とかかれていた、ご主人、目が大きく、ぎょろり、としているのでお客の食事の進み具合を見るとき、なんだかにらんでるような様子に見えるからでしょうか? ちっとも怖くないし、無愛想でもない、
お料理の説明もちゃんとしてくださるし、手際もいい、料理の出てくるタイミングも程よくて、お店においてあるお酒の話もいろいろと聞かせてもらえました。

きけば、季節によってメニューが変わる、とのことでしたので今度は桜の頃に、またつれてもらうことにしよう、と勝手に決め込んでいる私です。

外に出ると気持ちのいい、冬の夜の空気。
このまま帰るのはなんとももったいないのでぶらぶらと当てもなく歩きました。

yorumomionamiza maneki

12月の、なんだか華やいだ雰囲気いっぱいの河原町あたり、忘年会の二次会へと繰り出すのか、人やタクシーであふれています。
通りのお店のウィンドーを眺め、リプトンティールームでもう少しおしゃべりして。
(家へ帰ってもイヤというほどおしゃべりは出来るのに、こういう夜はなんだか時間がもったいなくて帰りたくない気分になります)

今年も幸せな誕生日の夜が更けていきました。

さて、連れ合いの誕生日がやってくるまでの1ヶ月、私は姉さん女房になります。

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クリスマス・イルミネーション
2008/12/24(Wed)

10日ほど前から京都府立植物園でクリスマス・イルミネーションが開催されていました。
12月23日、本日が最終日。

昨日と比べるとぐっと冷え込んだ夕方、暗くなるのを待って(なんだかペップバーンの映画みたい)もこもこ着込んで出かけました。

近くまで行くと駐車場に入る車の列。
「満車」の看板に、「あらあら」と横目で見ながら入り口へ。
だって、わたしたちは徒歩なんだもん、えっへん!(って、自宅から歩いて10分ほどなんだけど・(^_^;) )

ゲートをくぐるとすぐにあふれるイルミネーション

iriguti 11
こういうの、わくわくします。
大きな木をそのままクリスマスツリーに。

iriguti  turi-

何の木でしょう? やっぱりモミかなぁ。

ふだんは入園料とは別に入室料金が必要な温室、イルミネーションの期間中は無料で入れます。
今日、23日はハンドベルのコンサートがあるらしく、その入場整理券を求める人の列が出来ていましたが、
温室入り口の木にもこんな光の彩。

onsitu iriguti turi-

温室の中は予想以上に大きくて、いくつもの部屋とコーナーに分かれています。
入り口を入ってすぐにポインセチアが所狭しと並べられ、いったい幾鉢あるのやら。
カメラを構えてカシャ!
あらら、外との温度差でレンズがみるまに曇ってしまいます。

poinsetia turi-

今日の記事は画像ばかりになりそうですが、私が見てきた花のいくつかをご一緒に楽しんでください。

onsitu hana1

サリタエア・マグニフィカ

onsitu hana 2

イポメア・ホースファリアエ

onsitu hana 3

onsitu hana 4

ran 3

surippa o-kiddo

フラグミペディウム

ran 2

アングレクム

すごくいい香り。

suta- furu-tu 
スターフルーツ、ふと見ると頭上にころん、となってました。

 


温室を出て、入ってきたのとは反対のゲートに向かって歩きました。
北側のゲート近くのイルミネーションです。

kitagawa ge-to

そして、通るだけで幸せな気持ちになれた光のトンネル



満ち足りた気持ちになって北山通りを歩きました。
冷たい冬の空気がなんだか気持ちいい。

夕食前に出かけてきたのでちょっとおなかもすいてきた頃。

北大路駅そばのショッピングセンターの裏口近くに今年の春オープンした京都で唯一のチーズ専門店で、ブルーチーズとこってり濃厚なケーキを二つ。
今夜のデザートを調達して家へと向かいました。

イルミネーションは今夜で最後。
出来るならクリスマスまで続けて欲しかったのにね。

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あんたが一番!
2008/12/21(Sun)

皆様から色々と気遣っていただいた南天君。
今日も元気で窮屈な住処をもろともせず成長を続けています。
中がどうなっているのか気になるので、今日はカバーの隙間を少しこじ開けて(汗)のぞいてみました。
すると、太く束ねられた電線に遠慮するように、隙間をくねくねと曲がりながら上へ上へと伸びていっているようです。

実は、この前、皆さんにこの南天を紹介してから、思い切ってちょっと動いてみました。
(思い切った割には小さな動きですが。)

まず、ご近所の奥さんたちと通りで立ち話になったときに
「あの南天、気付いてはります?」と話題にし、ご近所の反応を探ってみました。
「あんなとこに生えて迷惑やわ」と言う意見は幸いにしてありませんでした。
が、以外に皆さん無関心で (^_^;)
一人の奥さんなんて、
「南天って、ほっといてもどこにでも出てくるわねぇ、うっとこの道沿いにも前に勝手に生えてきたことあるわ、もう抜いてしもたけど」
と、あっさりおっしゃる。
・・・・・・ あ、だめか
ご近所一斉に南天君救出作戦決行、というもくろみはもろくも崩れ去りました。

次に、(これはかなり思い切りました)
NHKの地元局に、画像を添付してメールを送りました。
2日後、メールを受け取った、という返信メールがNHK京都放送局から届きました。
そして、担当番組にメールと添付ファイルはきちんと渡した、ということと、けれど、必ず取り上げることが出来るかどうかはわかりません、ということが書いてありました。

メールを送ってから5日ほどになりますが今のところ何の連絡もありません。
ので、きっと番組で取り上げられる、という希望も望み薄そうです。

まぁ、こうなったらあの南天君がもって生まれた運命を見守ってあげるしかないか、と最近は思うようになりました。

さて、今日は別のお話を。

先日、女性の仲間ばかり数人「忘年会をしよう」というで、大阪・梅田にあるホテルヒルトンの最上階のレストランのランチブッフェに行ってきました。
hiruton turi-

広いフロアの窓から、大阪の町が一望できます。
marubiru uekara

昔、梅田あたりでは背高ビルだった「丸ビル」、今では周りの背の高いビルに囲まれてちょっとかわいそうなくらいです。
この日はお天気がよくて、見晴らしも最高。

さすがにホテルのブッフェらしく、なかなかに上等なお料理がふんだんに準備されています。
hiruton naibu

予約をした時間にいってみると回りは女性だらけ。
ほんとに、昼間のこういう場所は女性あってこそ、商売が成り立ってる、という感じです。
ニュースでは不景気なことばかりが報道されていても、こういう場所にいるとまるでそんなことなかったことのよう。
いまや、グルメやレジャー産業は女性顧客によって支えられているといっても過言ではないでしょうね。

食事を始めてしばらくみんなで近況を報告しあっていたとき、A子が、

「えーーーっと、・・・ 我が家の父はのせてました」となんだか妙にテンション高く言ったのです。


一瞬、みんなぽかーーーん、とした後、


「あの・・・のせてたって、か・つ・ら?」


「そうです、我が家の父はかつらをのせてました」


その一言で、みんなは一斉に、


「えーーーーーっ!!」


そこからはもう、皆が矢継ぎ早に
「いつから?」
「なんでわかったん?」
「あんた、いままで気がつかへんかったん?」と、もう質問の嵐。

A子は40歳、独身で、3つほど下の妹はすでに結婚して今は両親と三人で暮らしています。

事の成り行きを聞いてみると

先日、A子の父が泥酔して友人に送られて帰ってきたときの事、

母の「A子ちゃーーん、ちょっと降りてきて助けて」との声に、すでにベッドに入っていたA子がばたばたと玄関に出て行くと、べろべろに酔っ払った父が知り合いに支えられてご帰還。


「もう、おとうさん、しっかりしてよ」と、ふと見ると、A子の父は額から血を流し、顔面流血でびっくり!
(ええっ、なにごと!!)とだらりと寝転がってしまった父を引きずり起こそうとしたそのとき、A子は父の頭が、いえ、頭髪が、ずれていることに気がついたそうです。


とっさにA子は今自分が見ているものが何か理解できなくて、すぐに自室に戻り、ベッドに入って、(おとうさん、血が出てたけど・・・ でも、髪、どう見てもあれはずれてた・・・ ずれてた・・・)とめまいがしそうになり、(これはきっとなにかの間違いや、もうなにも考えず寝てしまおう)と布団をかぶって眠ったんだそうな。

翌朝、食堂に下りていくと、おでこにテープを張った父が、何事もなかったようにパンをほおばり、その横で母も何事もなかったようにTVを見ながら朝ごはんをたべているのをみて、A子も、(実はなんだかわからず混乱したままの寝不足な頭で)いつものようにパンをかじり、仕事に出かけました。

その夜、父がまだ戻ってくる前に、と家路を急ぎ、一人夕食の仕度をする母の横に立って
「あの、あのさぁ、おとうさん、なんか夕べ、頭おかしかったやん? もしかしたら・・・」というと、母は人参の皮をむきながら平然と「あんたのお父さん、かつらやで」といったのです。


愕然としたA子、母親に
なんで?いつから?お母さんはしってたん?と聞いてみたところ、
A子の父は30年前、つまりA子が10歳のときからかつら生活に突入してた、とのこと。
お母さんはもちろん、最初から知っていて、自然のままのほうがいい、と反対もしたけれど無駄だったこと、A子だけには知られたくない、と父親が涙ぐましい努力をしてたこと、嫁いだ妹はとっくの昔に気づいてたこと、などを話してくれたそうです。

「今から考えるとおかしいなぁ、と思うようなことがいっぱいあったんや、 お父さんの部屋になんやしらん空き箱がずーーっとおいてあって、なんでこんな箱いつまでもおいてるんやろ、捨てたらいいのに、と思ってたけど、あれ、きっと入れ物なんや、寝るときからあれにしまってるんやわ。 それに、いつやったかお父さんの部屋に突然入ったらタオルを頭にのせてなんかあわててわけわからんこと言ってたこともあったし」
「お母さんに、お父さんのあれの下、どうなってんの?って聞いたら、お母さんもどうなってるかしらん、30年見てない、っていってた」などと、関西の女らしく、面白おかしく聞かせてくれました。
身内にのせてる人がいて、毎日一緒に暮らしてて、30年も気づかへん、っていうか、気づかさへん、ってすごすぎ! 吉本新喜劇の世界やなぁ、とみんな笑うやら、もっと聞きたがるやら。

そこで一人が「なぁなぁ、あんたまさかTさん(その日集まった女性全員の知り合いで、乗せてる男性)の事、お父さんの前で話したりしてないやろな?」といったのです。
するとA子、いかにも情けない顔をして、
「それやねん、まさかわが父がのせてるっておもわへんやん?、そやし、『会社のTさん、かつらやねんけど周りのみんなしってるねん、それでみんな、そんなん、のせんかてええのに、かえって気ぃつかうわ』とかいっぱいTさんネタをお父さんの前でしゃべってもた。」

はぁ~、みんな一斉にため息。

あんた、それはあかんわ。
お父さん、あんたにだけは知られたない、って30年頑張ってきはったんや、
考えてみ、真夏の風呂上り、どんなに暑いことやったか、
そら、おとうさん、なんぼかはずしたかったと思うで、そやけど、どんなときでもきちんとしてはったんや、並大抵の努力やないで。

みんなよその家のことだから、もう好き勝手言って、A子の家のネタで盛り上がること!

それにしても30年、一緒にいて気がつかないA子も鈍すぎ。
気づかれないでやってきたお父さんの努力を思うと、ちょっと下向いて肩震わせて笑いながらも
「おとうさん、あんたは偉い!」と。

この日の忘年会、こんなすごいネタ持ってきたA子の完勝に終わったことは言うまでもありません。

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がんばれ、南天君
2008/12/13(Sat)
時々ニュースなどで都会のコンクリートの隙間から、花や野菜が芽を伸ばし花を咲かせたりして話題になることがあります。

道端に電柱が立っていると、その電柱のそばには地面から電線を引くための、黄色いカバーのついた、あれはなんていうんでしょう?、電線誘導カバーのようなものがあるのを見かけたことがあると思います。

我が家の前にも電柱と、その電線カバーが立っているのです。

そして、そのカバーから



注) 一緒に映っているレンガの壁の家はわたくしどもの家ではありません。

いつ頃からこのなかで命をはぐくんでいたのか、
南天が芽を出し、茎を伸ばし、隙間から差し込む日の光を目指して枝を伸ばして出てきたんです。



見つけたとき、なんだかいじらしくて、かわいそうになってしまいました。
だって、電力会社の人が見つけたら、多分安全面を考えて、この南天は引き抜かれてしまうでしょう。

どこかで実った南天の実が、枝を離れ、ころころと道路を転がって、このカバーの下に残ったわずかな土を見つけて、発芽して成長してきた、
その『一生懸命』を思うとなんだか胸が熱くなります。

これからこの南天がどうなっていくのか、気がかりで仕方ありません。
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「石田徹也 ― 僕たちの自画像― 展」
2008/12/09(Tue)
先日東京に行った時に回った展覧会は「ハンマースホイ」展と、後もう一つ。

練馬区立美術館で開催中の「石田徹也 ― 僕たちの自画像― 展」

isidatetuya nerimakuritu

石田徹也という画家を知ったのはNHKの『新日曜美術館』で紹介されたのが最初だったか、『美の巨人たち』が先だったか、ちょっと記憶があいまいなのですが、とにかくTVの画面で見た、彼の描く絵から突きつけられてくる「哀しみ」があまりに切なくて、気になって仕方のない画家の一人になったのです。

その後、「石田徹也遺作集」を手に入れて、時々ページを開いていました。

彼はもう今はこの世の中に生きてはいません。
2005年5月、31歳のとき、踏切事故で亡くなっています。
私が石田徹也という人をはじめて知ったときには彼はもう亡くなった後でした。
私が見た番組内で流された、彼に近かった人たちの言葉から想像して、その死は自ら選んだものとも、不幸な事故とも取れる印象でした。
そして私は今回の展覧会に出かけるまで、TVや遺作画集で作品を見た印象からおそらく前者だろう、と想像していました。

石田徹也さんのHPにリンクを貼っておきますので興味のある方は彼の作品を見てください。
HPに紹介されている作品はどれもクリックすると画像が大きくなります。

どの作品からも今の私たちを取り巻く社会が持っている虚無感や矛盾、悲しさ、もどかしさ、孤独、そんな彼の表現したかったものが痛いほど伝わってきます。

会場入り口の一番最初に目に付く場所に「飛べなくなった人」が展示されていました。



一歩入ってその絵を見たとたんに、なんだか悲しくてたまらなくなって目が離せなくなり、気がつくと涙があふれそうになっていました。

私は案外意気地なしで、自分のあらわになった感情を他人に見られるのが苦手です。
涙がこぼれそうになっているのに気がついてすぐに先へと進みました。
が、何度も画集やTVで見た「飛べなくなった人」はあまりに哀しく、なんだかわからない、けれどとても強い何かを、私は突きつけられてしまいました。

そう広くない会場は彼の作品を見るには適当な空間だったように思います。
こういう表現者の作品と真剣に対峙するにはほとんど限界といっていいくらいの広さ。
あれ以上大きな会場でもっとたくさんの作品と向き合っていたらなんだか重いものを抱えすぎて、ちょっとつらくなっていたかもしれません。

年代を追うごとに描く対象が違ってきてはいましたけれど、作品全体を通して描かれる、孤独や哀しみのようなものは変わらなかったような気がします。

展示室は第1室から第3室まであって、第3室では彼の制作ノート(アイデアノートといったようなものです)は数冊展示されていて、肉筆を見ることが出来、作品を制作するに当たって、見る側が感じるものを生み出すために、彼が予想に反して冷静に計画立てていたのがわかって意外な印象も受けました。
そして、その部屋に展示されていた石田徹也さんの写真。
壁一面に大きく引き伸ばされたその写真の中で、おそらくはなにか受賞したお祝いの席での1シーンだったんでしょう、両手に花やプレゼントを持って生き生きと元気で、大きく一歩、歩き出した瞬間の笑顔がありました。

その写真を見たとき、それまで私の中で作品からくるイメージによって受けていた、「若くして自ら死を選んだ画家」という印象が少し変わりました。
私が思っていたような人じゃなかったのかもしれない、エキセントリックで孤独で、自らの内に暗闇を抱えた人、そんな風じゃなかったのかも。

いずれにしても表現者として選ばれた人たちには、その才能を与えられなかった私たちのような者からすると想像も出来ないような苦悩とともに歩む一生が待っているのかもしれません。

つらくて重い展覧会でしたけれど、観に行くことができてよかったと思います。

最後に、
会場に掲げられていた石田徹也さんのお父様のご挨拶を引用させてください。

  徹也が亡くなって、残された膨大な作品の数と大きさに途方にくれ、「絵そのものは、全て捨ててしまおう」と決心し、作品の写真をとり、遺作集を発行させていただきました。
  中略
  決して、心が落ち着くとか綺麗な作品ではありませんが、徹也の作品を見たことにより、何かしら皆様方に感じ取っていただければ、幸いです。

                     石田嘉弘 氏
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ヴィルヘルム・ハンマースホイ  静かなる詩情
2008/12/04(Thu)
先週末、東京へ行ってきました。
夏の「この靴、痛い!」以来の上京です。

例によって連れ合いが仕事で先発していたのに合流しての展覧会周りの東京です。

金曜日、家事雑事を諸々済ませ、夕方ののぞみに乗りこみました。
新幹線の窓を、時々雨粒が後方へ飛び去って行きます。

米原あたりで一度雨足がひどくなり、(今日は富士山を見られないかも)と少し残念な気持ちでいました。

岐阜羽島の手前あたりで雨が上がったと思ったら



最近、なんだか虹に恵まれています。
地平線から地平線へかかる大きな大きな虹。

私が窓に張り付くようにデジカメのシャッターを押していると、後ろのほうから男性が「虹が出てるよ」と、(おそらく)隣席の女性に教える声が聞こえて、少し後には携帯のシャッター音が「キロリン~」と。

私もデジカメを携帯に持ち替えて写メでも1枚。
東京で会議中の連れ合いに送りました。(もちろん、返信はないけれど)

浜名湖を過ぎて、時間的にぼつぼつ、でももしかしたら夕暮れでもう無理かも。
と、微妙だった富士山南方の通過時間。
ぼんやりと窓から外を眺めているとなんてことでしょう。
まるで神様のプレゼントのような景色。



自慢するわけじゃないけれど(って、自慢ですわ、これって)、私は新幹線に乗ると不思議ときれいに富士山を見せてもらえる運のいい女です。

早速またまたデジカメを構えてカシャカシャ。
するとまたまた後ろのほうの席からあの男性の声。
「わぁ! ほら、すごい!富士山だよ!」
それに応える女性の声も「わぁ、すごい!」って。
後ろの男性、私を見張っとるのかいっ!

そんなこんなで東京駅。

待ち合わせに余裕を持ってきたので、八重洲北口の大丸へ。
履いてきたブーツの踵を張り替えてもらうためです。
なんで東京まで来て踵の張替え?
時間があったから。

仕事が終わった連れ合いと合流して、夕食は日本橋の「イヒ フレー」へ。
夏に行った時、目立たない場所にあるからか、こじんまりとした隠れ家的な店内の雰囲気と上品な味とスタッフの気持ちのいいサービスが気に入って、食事するならここ、と予約を入れておいたのでした。
2度目の訪問だったにも関わらず、お店の皆さんはちゃんと覚えてくださっていたようでした。

ihifure 11.28

この日、最初のお客様だったわたしたち、店内の様子を失礼して1枚。

夏に来たときとはメニューも変わっていて、でも美味しいのは相変わらず。
ゆっくりとコースを味わって、満腹でホテルへと向かいました。

さて、翌、土曜日。

朝から上野へ移動。
目的は国立西洋美術館で開催中の「ヴィルヘルム・ハンマースホイ展

hannma-suhoi 11.29

なんだか香港のコメディスターのようにも思えるハンマースホイですけれど、デンマークの画家。
その作品のほとんどは、彼が住んでいた部屋の中や、アパートの窓から見える景色を描いたものです。
モデルとなっているのも、最初は彼の妹、妻を得てからは、妻であるイーダ、が室内でたたずむ様子がほとんどです。
年代が進むにつれ、作品からは人物が消え、そして室内の家具が消え、最後には部屋そのものを描いているのが、会場内をまわっていると印象的でした。



「背を向けた若い女性のいる室内」
本展覧会の看板にもなっているこの作品。
描かれているのは妻のイーダ。
画像ではわかりにくいと思いますが、この描かれた絵に女性のうなじが、白く輝いて非常に印象的でした。

裕福な環境にあって、社会的にも認められた画家であったにもかかわらず、彼の描く女性はなぜか皆、目を伏せていたり後姿だったり、観るものと視線を合わさず、どこか疲れた表情です。

situnai sutorannge-ze

「室内、ストランゲーゼ30番地」
彼が暮らし、彼が最も描いたアパートの部屋。
よく見ると、テーブルの4本の足のバランスが不自然だったり、家具の落とす陰があちこちに伸びていて全く現実にはありえない光景です。

この画家が描こうとしたものがどこにあったのか私にはわかりませんでした。
けれど、妙に印象的だったのは、室内に置かれた家具の表現の素晴らしさでした。
そこにおかれた家具はけして豪奢なものではないのにもかかわらず、手入れの行き届い手いる様子が見て取れるのです。
家具の持つ温かみ、つややかさ、重さ、
そんなものがすぐそこにあるように見て取れるのがなんだかとても印象的でした。
そして、人物が消え、家具が消えた、部屋そのものが素晴らしかった。
だた室内だけが描かれている、それだけのことにこれほど心が惹かれていくのがなんとも不思議で心地いいのです。

hannma-suhoi situnai

「陽光習作」

会場でみた感動がお伝えできない、こういう画像で残念です。

会場内には3Dでハンマースホイの暮らしたアパートの様子を見ることが出来る『ハンマースホイの部屋』が設置されていて、これはかなり面白い出来でした。
彼の描いた作品のそれぞれがどの位置からどの方向を向いて描かれているのか、まるでその部屋をこっそり覗けるような錯覚にとらわれるのです。

この展覧会は今度の日曜日まで。
ご覧になることをお勧めします。
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